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第2回 いきいきとした会話の授業のための教科書活用法②暗記テスト応用編

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横浜デザイン学院日本語学科 主任 佐久間みのり

前回は、例文を使った会話の暗記テストを紹介しました。今回はその応用編をご紹介したいと思います。いくら会話の例文をたくさん覚えても、実生活で同じような場面に出会うことは少ないでしょう。学生が日常生活でも上手に話せるようになるには、授業で覚えた言葉を応用する力が必要だと思います。
まずは、自作のオリジナル教材や、絵教材と組み合わせるパターン。

(本冊33課 例文3)

「ゴミを捨てるな」「お知らせ」などの書いた紙を貼っておいて、学生たちに考えさせましょう。

学生:あそこに何と書いてあるんですか。
学生:「ゴミを捨てるな」と書いてあります。

(本冊42課 例文5)

いろいろな道具を前に置いておいて、手に取らせて発表させましょう。
(たとえば、孫の手)

学生:これは何に使うんですか。
学生:背中をかくのに使うんです。

(学生が分からない場合は教師に「これは何に使うんですか」と質問させてもいいです。)

(本冊42課 例文6)

国の名前を相手の学生の国で言わせたり、葬式の絵を出して葬式について聞かせてもいいでしょう。

学生:中国では結婚式をするのにどのくらいお金が必要ですか。
学生:200万円はいると思います。
学生:えっ、200万円も要るんですか。

(本冊42課 例文1)

試験の絵、いろいろな行事の絵などを組み合わせて。

学生:11月の留学試験のために、毎日勉強しています。
学生:そうですか。がんばってください。

答えるほうも、相手の言ったことにあわせて、「楽しみですね」「大変ですね」「がんばってください」「気をつけてください」など言わなければなりません。
そして学生の反応の様子を見ながら、できそうであれば難易度を上げた応用練習をします。教師が学生とペアになって、アドリブを入れるパターンです。例文を暗記させた後、ペアで発表させるのですが、各ペアが発表した後、教師側から学生を指名して、答えさせます。例えば、
(本冊43課 例文2)

これを少し変えて、例えば今くらいの季節だったら・・・

教師:○○さん、寒くなりましたね。
学生:…(その場で合った文を考えさせる)ええ、もうすぐ雪が降りそうですね。

(本冊43課 例文5)

教師:飲み物が足りませんね。
学生:すみませんが、ちょっとコンビニで買ってきてください。

(本冊43課 例文4)

教師:今度の先生、頭がよさそうだし、きれいですね。
学生:ええ。でも…

ここでどんな答えが返ってくるかは、ドキドキですね。

ここまでアドリブができるようになれば、実際の生活でも様々な場面で「みんなの日本語」で習った文型を使えることでしょう。学校での勉強、教科書を使った勉強はもちろん大事ですが、私たち日本で留学生に日本語を教える日本語教師としては、授業で習ったことを、日常生活の中で応用して、どんどん話して言って欲しいと思うものです。
例文は短いですが、アクションや気持ちをつけて言うこと、暗記して言うことに慣れてきたら、もっとおもしろい活動にもチャレンジできます。次回はその活動について紹介したいと思います。


第3回 いきいきとした会話の授業のための教科書活用法③シナリオプレイ

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横浜デザイン学院日本語学科 主任 佐久間みのり

『みんなの日本語初級』の中で会話の練習に該当する部分は練習C、例文、会話などがありますが、授業で準備段階を経ずに急にロールプレイをしても、あまり興味を引くおもしろいものにはならず、一生懸命話しているグループのかたわらで、聞く側はつまらなそうにしていることがあります。また、文法をいくら積み上げていっても、実生活やドラマ・アニメで学生が耳にするのは、マニュアル的に使われる敬語や友達とのくだけた表現、そして教科書にはあまり出てこない乱暴な表現などで、そのときの対人関係も友人・上司と部下・教師と学生といったような単純な関係ではありません。今回は、会話の授業を、会話をする側・聞く側双方が楽しめ、かつ実生活の対人関係や、ドラマ・アニメの中で話されているようないきいきとしたものにするために、どうしたらいいか考え、実践した活動について紹介したいと思います。

前回までの教科書活用講座でも紹介したように、『みんなの日本語初級』の例文を毎回暗記させました。その際、くじ引きでペアを作り、ペアで学生たちの前に立ち、身振り・手振りをつけながら、感情を込めて発表させました。学生たちは最初は覚えることに精一杯で、恥ずかしがっていましたが、毎回おもしろいパフォーマンスをする学生がおり、笑いをとっていました。そのうち他の学生も慣れてきて、アドリブを入れて違う話にしたり、まるで俳優のように発表するようになりました。そして、聞く側も発表している学生の演技を楽しみにするようになりました。

そこで、『みんなの日本語初級』50課が終わったところで、49課・50課で勉強した尊敬語・謙譲語を使う場面を考えて、ミニドラマを作成することにしました。時間は45分授業×4コマ(準備2コマ、練習・発表2コマ)で行いました。最初に、尊敬語・謙譲語が使われる場面・登場人物を考えさせ、簡単に設定します。例えば、学校の学生と先生、店の店長、アルバイト、客などです。

そして、学生たちをグループに分け、それぞれ見ている人がおもしろいと思うのはどんな内容・展開・役・台詞か考えさせました。グループごとにワークシート①を配布し、教師はストーリー作成時にヒントになるようなコメントを入れておいたり、アドバイスをしたりしました。

ワークシート①


シナリオ作成の台詞は、くだけた表現でもマニュアル敬語でもふさわしければどんどん使ってもらいました。学生たちから出てくる言葉は、「ふざけんじゃねぇ」「お前」「先公」・・・みんなどこで耳にしているのでしょう。「お待たせいたしました」「ご注文は以上でよろしいですか」「少々お待ちください」・・・店に行けば必ず耳にする言葉ですよね。

シナリオが完成したら、暗記テストの要領で台詞を暗記させます。その上で身振り・手振りなどをつけ、感情を込めて言えるように、演技の練習をします。いきなりこれをするのは難しいですが、暗記テストをやっていると意外とスムーズにできます。

発表は1グループ5分程度で行います。聞く側は「場面・役・内容・感想」について、ワークシート②にメモをとらせました。聞いている学生それぞれに、どんな場面でどんな人たちが話しているか考えさせました。

ワークシート②

ミニドラマ発表会

場面                  : ファーストフード店

役(名前)                :

内容                  :

感想(おもしろかったところ)     :

学生のワークシート②の感想は「おもしろかった」というものが多かったですが、内容についても、話のポイント・落ちをよく理解していました。しかし、あるグループは落ちを単に何か事件が起きるという意味合いでしかとらえておらず、おもしろい内容にすることができませんでした。この落ちについては、個人の性格にもよると思いますが、事前にミニドラマ(『新日本語の基礎復習ビデオ』)などを見せるなどして、その話の「落ち」やポイントは何かということを確認するような活動も必要かもしれません。また、くだけた表現、特に乱暴な言葉をドラマの中では楽しそうに使っていて、聞く側の印象にも残ったようでした。こういう言葉は普段の授業では取りたてて導入したり、あ練習することもないので、このような活動を通して紹介するのもいいかもしれません。

この活動以降も、このクラスの学生は比較的発話が多く、感情を込めて発言するのが上手であるように感じられます。学生も教師側も日本語の世界が教科書の中だけではなくもっともっと広いのだということに改めて気づかされました。

第1回 N2編 違いを理解することから、例文作りまで

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城東日本語学校 教務 徳森柚子

○はじめに
私が日本語を教えている日本語学校では、中国や韓国、ネパールなどの主にアジア圏の学生達が、進学や日本語能力試験合格などそれぞれの目標達成を目指し勉強しています。
初級レベルでは基礎文法の定着と4技能(読む・聞く・書く・話す)を身につけるため、教材は『みんなの日本語初級Ⅰ,Ⅱ』を使用し、その後中級への橋渡し教材として『短期集中 初級日本語文法総まとめ ポイント20』を使用しています。中級レベルでは『新完全マスター文法日本語能力試験N2』(以下、『新完全マスター文法N2』)をメイン教材として使用し、約7ヶ月での日本語能力試験N2合格を目指しています。また副教材として『改訂版読むトレーニング基礎編/応用編』『聴くトレーニング基礎編/応用編』など日本留学試験対策用教材も使用しています。

○学習時間
本校では、『新完全マスター文法N2』の第1部を使った授業を1週間に2日、1日2コマ(1コマ45分)で行っています。クラスのレベルによって進む早さも違いますが、文法形式の数で言うと、1日で2~3つずつ、だいたい1週間に1課のペースで導入していきます。
4月入学のクラスなら、翌年7月の日本語能力試験合格を目指し、中級レベルが始まる12月頃から翌年7月の日本語能力試験前までに本書を終了するよう進めます。

○各課の構成
P8~P11  1課
図1 図2
(画像をクリックで拡大)                           (画像をクリックで拡大)

『新完全マスター文法N2』は、各課に「復習」・「文法形式」・「練習問題」・「課のまとめ問題」の4つで構成されています。「復習」にはその課の文法形式と同じような意味用法の例文が紹介されています。その多くが『みんなの日本語初級』で既習なので、N2の文法形式の導入の前に触れることで、学生の理解が高まります。例えば1課(図1)では「復習」の1つ目の例文に「文法形式」1、2が、2つ目の例文には3~5が対応していますので、それぞれの導入前に触れると効果的です。
「文法形式」と「練習問題」は同数あり、番号が対応しています。課末にあるまとめの問題では、その課の全ての問題を短時間で確認することができます。

○授業の進め方
各課の進め方としては

復習1→文法形式1→練習問題1→文法形式2→練習問題2→復習2→文法形式3→練習3→文法形式4→練習問題4→文法形式5→練習問題5→まとめの問題 という順で進めます。

今回の活用講座では第1課の「文法形式3.~たとたん(に)」、「4.~(か)と思うと」について私の授業の工夫などをご紹介します。

初級教材は絵や図などが多いのですが、中級以降になるとあまり見られなくなります。また、語彙なども急に難しくなるので、中級の文型にも親しみを持ってもらえるように、導入の段階では初級の語彙や絵を使うようにしています。

★文法形式3「~たとたん(に)」

例1)ドアを開けたとたんに、荷物が落ちて来た。

例2)ボタンを押したとたんに爆発した。

まずは絵を見せ、学生達に語彙を出させ、出て来た語彙で導入します。その後『新完全マスター文法N2』の例文を読み、接続の確認や語彙を説明しながら理解させ、接続や「文法的性質の解説」部分を解説して「練習問題」へ移ります。
『新完全マスター文法N2』の1つ目の特徴がこの「練習問題」です。学生が間違えやすい絶妙な問題が多数あり、「文法的性質の解説」をきちんと理解していないとなかなか解けません。「練習問題」を解かせることで、学生がきちんと理解できたかどうか、教師側も確認することができます。

★文法形式4「~(か)と思うと」

例1 例2

例1)さっきご飯を食べ始めたかと思ったら、もう食べ終わった。    例2)息子は家に帰って来たかと思うと、すぐ遊びに行った。

「文法形式」の3と同様、絵を見せ、学生達に語彙を出させ、出て来た語彙で導入します。その後『新完全マスター文法N2』の例文を読み、接続の確認や語彙を説明しながら理解させ、「練習問題」へ移ります。
「練習問題」が終わったら、「文法形式」の3と4の違いを説明します。『新完全マスター文法N2』の特徴の2つ目が似たような使い方の「文法形式」がまとまっていて、同時に導入できる点です。それぞれに提示されている例文を比較し、誘導していくことで学生自身に違いを見つけてもらうことができます。

例えば、「文法形式」3の④の例文にもう一度着目させ、こちらから状況把握のためにいくつか質問します。

私(以下T):僕と彼女はどんな関係?先生と学生?
学生達(以下S):恋人、彼氏と彼女
T:そうですね。じゃ、「走っていきました」はどっち?

S:①
T:じゃ、どうして彼女は走って行ってしまいましたか?
S:悲しいから
T:どうして彼女は悲しい?
S:僕がさようならと言いましたから
T:そうですね、さようならと言われて悲しかったから、走って行ってしまったんですね。

ここまで導いたら、①~③の例文にも着目させます。すると学生は、文法形式3は前件が後件の引き金になっていますが、文法形式4はそうではないという1つの大きな違いに、自分で気づくことができるはずです。

更に、「文法形式」の4のそれぞれの動詞に着目させると②泣く―笑う③片付く―散らかす④暑い―涼しいなど規則性を見つけることができます。

このように、本書は教師がただ説明するのではなく、例文を見比べさせることで学生自身がそれぞれの文法形式の性質や違いを見つけることができるという特徴があります。自分で違いを探したり、考えることはより学生の記憶の定着に繋がります。
文法形式のそれぞれの特徴を理解させたところで最終段階、短文作成をさせてみます。教師が前件か後件のみ提示し、学生に文完成をさせます。

  • ・その話を聞いたとたん、彼女は                     
  • ・窓を開けたとたん、                            
  • ・夏休みが始まったかと思ったら、                    
  • ・山の天気は変わりやすい。
     さっきまで晴れていたかと思ったら、急に               
  • ・さっき勉強を始めたかと思うと、                     

日本語能力試験は選択問題ですが、N2の表現には日本留学試験や大学入試などの記述問題に使える表現も多くあるので、時間はかかりますが、必ず短文作成の時間を取るようにしています。

第2回 N1編 文の文法が重要!

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講師 五十嵐雪子 城東日本語学校 教務

○はじめに
当校では、7月から12月上旬までの夏休みを除いた、実質4カ月足らずで日本語能力試験N1対策を行なっています。また、多くの学生が大学進学を目標としているので、日本留学試験の対策などと並行して日本語能力試験対策の授業を行っています。

学習期間、時間ともに短いので、『新完全マスター文法日本語能力試験N1』(以下、本書)を使った授業は、週2回(1回は45分×2コマ)に限られ、試験までに本書を1冊終わらせることはできません。

限られた時間の中で学生たちを合格に導くには、本試験での4択の中から正解を選ぶという試験のテクニック的な学習も避けては通れません。また、能力試験N1では、N2の文法知識も問われ、N2+N1の学習なくしての得点は難しいです。このような現実を踏まえ、当校では本書の「実力養成編・第一部」の「文の文法1」の学習に力を入れています。

○「文の文法1」の授業時間。短い時間で効率よく。
当校では、本書「文の文法1」の1課を1回(45分×2コマ)で行い、1週間で2課のペースで進みます。例文を読み、接続を確認し、問題を解くだけであれば、本書にある目安時間とあまり変わりなく進められるのですが、本書で扱っている各文法形式(学習項目)の復習や、第3部「文章の文法」の内容についても意識した授業を行うことを考えると、学生たちからすれば、まさに息をつく暇もないような授業になります。

本書の構成は大きくは「文の文法1」「文の文法2」「文章の文法」の3部に分かれていますが「文の文法1」を着実に学習していくことで、「文章の文法」にも対応できる実力をつけ、また効率よく時間を使うことができます。


本書P4.「文章の文法」(画像をクリックで拡大)

この「文章の文法」とは、新形式の日本語能力試験で新しく「言語知識(文法)」の領域に加えられたものです。これは、短文中の空欄に当てはまるものを選ぶ形式の問題で、「読解」領域の問題ではないので、各文法形式の特徴を理解し、文脈上正しい文法が判断できさえすれば得点できるような問題も多くあります。

○1課「時間関係」で受験への意識付けをする。

本書P8~11(画像をクリックで拡大)

N1受験を考えるような上級クラスになると、日常会話での意思疎通には困らなくなってきたような学生が多くなります。しかし、正確な文法を覚えなくては、N1には合格できません。本書は第1課「ことがらを説明する 時間関係」という内容から始まります。この課で扱う文法形式は、正確に理解し、覚えなければ試験で間違える可能性の高いものです。N1受験の学習に向かうにあたっての意識付けという面でも、始まりの課としてとても良いと思います。

さて、具体例です。まず、〔復習〕の「~たとたん」と「~かと思うと」を読みます。


本書P8上 「復習」

そして、どちらも接続は動詞のタ形であることを確認します。その後、教師が「テレビを見たとたん、壊れました」のような間違えた文を提出し、学生が「見た→つけた」に訂正できるかを確認します。

次に T.「彼はさっき勉強を始めたかと思うと、難しいです」S.「難しいです→もう寝ています。」などができるかを確認します。この作業で、上記「~たとたん」「~かと思うと」は、瞬間的なことを表す動詞につき、後ろは少し意外感のある事実が来ることを確認します。

さらに T.「駅に着いたとたん電話してください。」S.「駅に着き次第、電話してください」などで話者の希望・意向、働きかけの文は来ないことも復習します。

これらの特徴は、1「~が早いか」2「~や否や」にも共通しているので、〔復習〕を利用してきちんと確認しておけば、授業をスムーズに進めることができます。ここで、私が注意しているのは、学生から質問が出ない限り、これらの文法形式については、用法の差に言及しないということです。「~が早いか」と「~や否や」にも、後ろに状態発生の文が使えるかなど、日本語教師であれば興味深く、私自身、文法書などで学ぶことの多い課ですが、限られた時間の中では、試験で問われるような、確実に誤用となる差を教師側が選んで伝えるべきだと思うからです。

この考えに立って1課を見ると、まず、接続が重要になります。


本書P10 練習問題1

上記の1番は(  )の後ろが「が早いか」なので、辞書形のb「見る」が正解です。この「~が早いか」は次に出てくる、2番の「~や否や」には置き換え可能ですが、「~たとたん」にはできません。あまりにも当然であるため、軽視しがちですが、問題を解くうえでは重要なことです。本書では1課の最初にこれを強く意識できる作りになっていると思います。また、3番の問題のように、接続がわかっていても用法を理解していなければ解くことが出来ないような問題も多くあります。ただ答えを伝えるだけでなく、他の選択肢や似た表現がどうして間違いなのかを確認することで、繰り返し復習し、知識をより正確なものにしていくことができます。

復習がきちんとできていれば、1・2の文型はすんなり終わるはずです。3の「~なり」も例文の意味はすぐに理解できると思います。
ただし、本書の「文法的性質などの解説」にあるように、「~なり」の主語はふつう三人称で、前後の主語が同じであるという特徴があります。


本書P8 3「~なり」

この点を確認し、問題を解いたうえで、本書の第3部「文章の文法」の3~6課の「視点を動かさない手段」を意識した例文作成をすることができます。

例えば、教師が「Sさんはうちに帰る」「母がSさんに庭の掃除をさせる」という2つの文を提示し、これをクラスの学生に「~なり」でつなげさせます。このとき、後ろの文の主語はSさんで一致させなければならないことに注意をむけさせます。すると「Sさんはうちに帰るなり、母に庭の掃除をさせられた。」という使役受け身の文を作るようになります。(「頼んだ」「頼まれた」の置き換えもできます。)また、「先生が教室に入ります」「私は先生に叱られました。」を提出すれば「先生は教室に入ってくるなり、私を叱りました。」というように話者がどこにいるのかを意識した表現や、迷惑受身を能動態に直すことを意識することもできます。

このように、各文法形式の接続ルールや、文全体が持つ意味の違い、主語の一致などに気を配り、復習や短文作成として導入していけば、本書の第一部しか授業できなくでも、十分、文章の文法問題にも対応できるのではないかと思います。

今回ご紹介した例は、あくまでも短時間でN1合格を目指す試験対策としての1面ですが、本書ではまず「文の文法1」を試験対策として学習し、試験後に「文章の文法」利用して復習しながら、より自然な日本語会話や作文などを目指した学習につなげることができると思います。

第1回 即時応答の練習 予習するなと初めて言いました

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東京HOPE日本語国際学院 教務主任 渡邊一彦

当校では1学期を3か月間200時間に設定しており、一方的な“講義”に陥ることなく能動的な授業を展開したいとの目的から、『みんなの日本語中級Ⅰ』を第3学期目もしくは第4学期目に使用する教科書に位置づけています。100時間を本書の学習時間数とし、1日の授業の前半を本書、後半は文法、語彙を中心とした日本語能力試験N3(N2)対策を行います。本稿では『みんなの日本語中級Ⅰ』を使用したマンツーマンコースにおける活用例をご報告いたします。

このコースの学習者は〔話す・聞く〕能力が弱いと自覚しており、有している文法知識や語彙数などと比較すると確かに四技能のバランスがよくありませんでした。本人の要望としては、「相手の話す内容は大筋理解できるが、どのように応答すればよいか戸惑ってしまいすぐに受け答えができない」ので口頭でのコミュニケーション能力を向上させたいというものでした。本書の各課は〔文法・練習〕〔話す・聞く〕〔読む・書く〕〔問題〕で構成されていますが、今回のコースにおいては各項目すべてを行っていく中で〔話す・聞く〕に重点を置いていくこととしました。本書は「中級段階の口頭でのコミュニケーションも重視」しており、〔話す・聞く〕では「日常生活の中で様々な交渉が必要とされる場面」が機能別に各課で提示され、会話運用能力を強化することが目的とされています。


                                       『みんなの日本語中級Ⅰ 教え方の手引き』より

第1課では「頼みにくいことを丁寧に頼む」「感謝の気持ちを表す」ことが目標となります。〈1.やってみましょう〉では交渉が必要とされる状況を理解し、各場面のイラストを見ながら適切な表現について考えさせます。「目標とする会話への導入」部分であり、現時点での表現能力の確認でもありますから、各場面で用いる表現を口頭で確認しノートにも書いてもらいました。〈2.聞いてみましょう〉はCDを用いて会話全体の流れと内容のポイントを聞き取る練習です。「家の中をみせてほしいと日本人の知り合いに依頼する」内容です。そして「1)家を見たいと頼むとき2)相手が迷っているのでもう一度頼むとき3)後日お礼を言うとき、それぞれの場面でどんな表現を用いたか」に着目させ、〈3.もう一度聞いてみましょう〉でそれらの表現が空欄となっているスクリプトを完成させます。〈1.やってみましょう〉での学習者の表現は“文法的には正しい”ものですが、


                                              『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

※〈1.やってみましょう〉での学習者の表現
1)日本の家についてレポートを書くので家の中を見せていただけませんか
2)来週までに書かなければならないのでお願いします
3)本当にありがとうございます

これらの表現をつなげるだけでは一方的に台詞を言っているようで相手の反応に対する柔軟性に欠け、依頼の会話としては不十分です。
そこで教科書の会話部分をCDで聞き会話表現、間のとり方などの確認し、その練習を〈4.言ってみましょう〉(CD収録の会話の部分を聞いてイントネーションなどに注意しながらCDの通りに言うところです)で行いました。

※〈4.言ってみましょう〉終了後の学習者の表現
1)「あのう、実はお願いがあるんですが」
  「ちょっと家の中を見せていただけませんか」
  「日本の家についてレポートを書かなければならないんです」
2)「来週までに書かなければならないんです」
  「何とかお願いできないでしょうか」
3)「本当にありがとうございます」


              『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より (画像をクリックすると付属CDの音声が流れます)

〈5.練習をしましょう〉は課の目標達成のための機能と表現の談話練習です。「あのう、~ていただけないでしょうか」「何とかお願いできないでしょうか」という表現が「頼みにくいことを頼む」「躊躇する相手に再度頼む」際の表現として挙げられていますので、学習者に合わせて追加、変更して練習をします。

                                              『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

〈6.会話をしましょう〉ではCDの会話がイラストにより示されています。各場面で適切な表現が再現できるかを確認するものです。

                                              『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

〈7.チャレンジしましょう〉ではロールプレイを行うのですが、自発的に考えて取り組めるよう学習者自身の実生活に置き換えた練習も取り入れました。

①〔文法・練習〕1 の練習の場面・状況・人物の設定を変更する。

                                              『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

たとえば、上の練習は知らない人に道を尋ねる設定ですが、「知らない人」の属性を変更する。

コンビニに入り従業員に尋ねる→「すみません。ちょっと教えてもらいたいんですが」

学校関係者、アルバイト先の人以外のほとんどは学習者にとっては「知らない人」ですので、その「知らない人」とことばを交わす場面に幅を持たせました。
この学習者は当校では学生でありますが、アルバイト先では接客業の従業員でもあります。受け答えの的確さがより要求されるのはアルバイト先においてだといえます。

②CD収録の会話を用いて、会話表現や依頼される側の表現に再度着目させ練習する。

例1:「わあ、すごいですね」発言の意図、場面別の使用の可否、類似表現などの確認。

T「どうして『わあ、すごいですね』と言ったんですか」
S「そんな古い家にまだ住んでいますから」「90年前の家が残っていますから」「褒めれば、あとで頼みやすいですから」 

T「この犬は40年生きているんですよ」
S「わあ、すごいですね」「そうなんですか」「えーっ」

例2:再度依頼され承諾する場面での口調、表情、しぐさなどを変更する。

T「(笑顔で)じゃ、いいですよ。うちでよければどうぞ」
S「ありがとうございます。助かります」 

T「(仏頂面で)じゃ、いいですよ。うちでよければどうぞ」
S「無理を言って申し訳ありません」

例3:「ありがとうございます」以外の感謝の表現を練習する。

T(Sの重そうな荷物を持つ)
S「ご親切に」


                                          『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊 別冊』より

また客からの業務内外の問いかけなどもたびたびあるとのことから、それに対応するため表情や身振り手振りなど言語外の要素も含めた応答の練習も行いました。

③〔文法・練習〕6の練習2は褒める練習ですが、褒められた場合の受け答えを練習する。

                                              『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

T「日本語が上手ですね」
S「いいえ、まだまだです」「そんなことないです」
T「これ(商品、サービスなど)、とてもいいですね」
S「ありがとうございます」「恐れ入ります」

本人は即時に受け答えができずに悩んでいましたが、実生活では相手の問いかけには何らかのリアクションが必要となります。そこで現有能力で解決を図っていく意識を持たせようと、授業前に予習をしなくてもよいと本人に話しました。上記のような練習で、場面設定、状況設定を次々と提示して授業時間を想定外のことに対応する機会として活用したかったからです。毎日の授業中に、実生活の場面における相手とのやりとりに関して質問や意見が出てきたのは、「問題解決を目的とする会話」が提示されている本書での学習の有用性を本人が感じていたからではないかと思います。

第2回 EJU対策 教科書の個性を生かしたいです

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東京HOPE日本語国際学院 教務主任 渡邊一彦

 教科書選定にあたっては内容や学習項目の検討もさることながら、その教科書が作成された背景、目的などを何よりも理解しなければならないでしょう。『みんなの日本語中級Ⅰ』は、「多様な学習者の背景やニーズにも柔軟に対応できるよう」、「〔話す・聞く〕(会話)〔読む・書く〕(読み物)の2本の柱を立て」て編纂された教科書であり、「既習の知識能力を活性化し、さらに新しい言語知識を積み上げ、〔話す・聞く〕〔読む・書く〕の課題を遂行して、実践的な運用力を育」み、「学習者が自立的に学ぶ力を身につけることを目指」しています。『教え方の手引き』にもあるように教科書通りに沿った進め方も可能ですが、日本留学試験(以下、EJU)と日本語能力試験(以下、JLPT)の受験希望者が混在する当校においては、「学習内容の選択・調整」が明確である点を生かし、〔話す・聞く〕能力の育成を主な目的として第3学期目もしくは第4学期目(1学期3か月間200時間)に授業前半2時限(100時間)を本書の学習にあて、後半はJLPT対策を行い、同時にEJU対策としても本書を活用していくこととしています。

 EJU対策では、出題形式に慣れるという意味で模擬試験として過去問題等は行いますが、「読解、聴解、聴読解領域」において問われる能力は①直接的理解能力②関係理解能力③情報活用能力であり、これらは日々の学習のなかで「自立的に学ぶ力を身につけ」「実践的な運用力」を培っていくなかで涵養していくものだろうと考えています。『みんなの日本語中級Ⅰ』で〔文法・練習〕を基盤に、言語機能で分類された〔話す・聞く〕課題、読み方の技術とストラテジーが明示されている〔読む・書く〕課題を遂行していくことが、文章や談話の正確な理解に加え情報の重要度の判別や比較、さらにはそれらを活用した解釈能力が求められるEJUの対策となります。本書の活用例として以下のような応用・発展練習が考えられます。

〔話す・聞く〕〈2.聞いてみましょう〉→EJU「聴解問題」対策

第3課〔話す・聞く〕〈2.聞いてみましょう〉設問1)②で以下のような答えの選択肢を与えます。

『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より (画像をクリックすると付属CDの音声が流れます)
追加した選択肢①
会えます。イーさんは1時30分に行きますから。
会えます。午後6時に行きますから。
会えません。イーさんは行くことができませんから。
会えません。先生の都合が悪いですから。

あるいは以下のような設問を新たに与えます。

追加した選択肢②
イーさんは今日これからどうしますか。

午後6時ごろ森先生の研究室へ行く
午後6時ごろ森先生に電話をかける
午後1時30分ごろ森先生の研究室へ行く
森先生の研究室へ行かない

〔話す・聞く〕のシラバスである「交渉会話」という機能を用いて、答えの選択肢を追加することにより、EJUで問われる「文章・談話の内容を踏まえ、その結果や帰結などを導き出す」練習とすることができます。出題形式に沿い四択としましたが、〔話す・聞く〕能力の育成という目的に鑑みれば学習者自らのことばで表現できればなおよいと思います。

『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

〔読む・書く〕〈3.読みましょう〉→EJU「聴読解問題」対策

第6課〔読む・書く〕〈3.読みましょう〉は「メンタルトレーニング」について図を用いて解説した読み物です。この図の、矢印の向きや人物の位置、「過去」「現在」「未来」という文字を置き換えた図を作成して答えの選択肢として提示し、CDを聞きながら選択させます。本書の読み物は音声がCDに収録されているとともにさまざまな図表が用いられていますので、音声と文字、図表などを組み合わせた練習が可能です。音声情報と視覚情報との関係理解や比較・対照能力、さらにはそれらを組み合わせた論理的な解釈能力が問われる聴読解問題の対策となります。

〔読む・書く〕〈5.チャレンジしましょう〉→EJU「記述問題」対策

第9課〔読む・書く〕〈5.チャレンジしましょう〉設問1)を以下のように設問内容を変えます。


『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より
内容を変えた設問
現在、日本では、若者は友人同士だけで個室を利用してカラオケを楽しむことが多いです。
あなたの知っている国や地域におけるカラオケの利用方法について、日本との共通点、相違点は何ですか。例を挙げながら説明してください。

〔読む・書く〕は読解のためのストラテジーを学ぶとともに「まとまった談話構造に基づく文章」を書いて発表できることを目標としています。意見発表を主とした〈5.チャレンジしましょう〉は理由や具体例を挙げ論理的に自分の意見を述べる練習であり、口頭で練習したあとで文章作成を行い「記述問題」対策とすると効果的です。

 EJU対策の前提として「自立的に学ぶ力を身につけ」「実践的な運用力」を養成するために、「読み物」に関する導入活動である〈1.考えてみましょう〉は、〔話す・聞く〕ことに重点をおいたカリキュラムにおいても活用していきたい部分です。本書ではこうした用い方をも想定し、〔話す・聞く〕活動と〔読む・書く〕活動の連携に配慮して体系的に開発されています。

〔読む・書く〕〈1.考えてみましょう〉→〔話す・聞く〕応用練習

 第12課〔読む・書く〕〈1.考えてみましょう〉設問1)では、「日本の生活の中で『うるさい』と感じたこと」が話題となっていますので、学習者からは「隣家の物音」などが挙げられるかもしれません。


『みんなの日本語中級Ⅰ 本冊』より

第12課〔話す・聞く〕で「苦情を言われて謝る」「事情を説明する」ことは表現できるようになっているはずですが、ここでは苦情を言う側に立場を変えた練習ができます。第1課〔話す・聞く〕で学んだ「あのう実はお願いがあるんですが」「~ていただけないでしょうか」「何とかお願いできないでしょうか」(教科書活用講座⑩ 第1回 を参照)など「頼みにくいことを丁寧に頼む」表現を応用させます。

隣の山田です。

あのう、実はテレビの音なんですが
ちょっと小さくしていただけないでしょうか

今受験勉強をしているものですから

すみません。お願いします。

     第1課で学習・     第12課で学習

 どの項目をどのように〔話す・聞く〕練習に応用していくのか、あるいはEJU対策として活用していくのかは、さまざま試みている段階であり教師個人の発想によるところが多いのが当校の現状ではあります。医療をテーマにしたテレビドラマで「名医に寄りかかる医療はよくない。その医師がいなくなれば助けられない患者を生んでしまう」という旨の台詞がありました。もちろん自分自身を名教師だというつもりではなく(むしろ迷教師です)、教師一人のアイデアだけに頼った授業に限界があるのは間違いありません。教師個人や一学校の自己満足で終わらぬよう活用法についての検証は欠かせません。多方面で本書が活用されることを期待しています。

第1回 ドリルでも自分のことを言いたい学習者-単調にならないドリルって?

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今回から12回(毎月10日、25日)にわたって、東京外国語大学准教授荒川洋平先生の「荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス」がスタートします。
これから日本語を教えてみようと思っている方、日本語を教え始めたけど毎日が試行錯誤で戸惑っている方などなど、日本語教育の初心者の方に、具体的な教え方のアドバイスを物語形式で提供していきます。

登場人物は『もしも⋯あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』で「いきなり先生」をやることになってしまった4人。主婦の平野さん、定年を迎えた今井さん、オーストラリアに留学した河田さん、ミュージシャンの相馬さん。それぞれ事情があって、日本語を教えることになった4人の「その後」を通して、日本語を教えることの難しさや面白さを実感していただき、皆さんが直面している問題や課題の解決に少しでもお役に立てればと思っております。

もしも⋯あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』および『続・もしも⋯あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』をすでに読まれた方はもちろん、まだ読まれてない方でも、十分に楽しく、ためになる連載を心がけて参ります。


第1回 ドリルでも自分のことを言いたい学習者-単調にならないドリルって?

平野俊子さんは東京郊外のF市で、ボランティアの日本語教師をしています。外国人に日本語を教え始めて3年くらいになりますが、まだ授業のたびに戸惑うことが少なくありません…。

ある日の夕方、平野さんは大柄な男性、リックさん(カナダ人)、日本人と結婚した主婦、黄宇霞さん(中国人)にドリルをしていました。ドリルとは、ある文型の練習のために、特定のルールの中で教師が指定した単語を使って、その文型を含んだ文を学習者に言ってもらう活動です。

今日、練習する形は、
(バス)で(スーパー)へ行きます。
というものです。カッコの中は平野さんが指示して、学習者がそのルール通りに文を作ります。

平野さんは、準備したとおり、まず自分の右耳を指さして、二人の学習者に言いました。
「リックさん、黄さん、聞いてください。」
二人は身を乗り出して、平野さんの次のことばを待ちます。
「バスでスーパーへ行きます。」
平野さんはそう言って、手のひらを差し出すような動作をします。


それを合図に、二人の外国人は、同じ文を口にしました。
「バスで、スーパ…」
ところが、リックさんが口ごもってしまいました。

平野さんの話すスピードは普通の日本人と同じなので、リックさんにはちょっと厳しいようです。
それを見た平野さんは、バスの絵が描かれた紙を取り出すと、机でそれを動かして
「バスで…」
と言い、バスが進む方向へ、スーパーの絵を置きました。リックさんはオゥ、と納得すると、

「バスで、スーパーへ、行きます。」
と、口ごもりながらも何とか言い切りました。

それを見た平野さんは、バスの絵をしまい、自転車の絵を出して、同じようにスーパーに向かわせ、黄さんに手のひらを向けました。

「自転車でスーパーへ行きます。」
黄さんはよどみなく答えます。
ところが、同じ文を言ってもらおうと平野さんがリックさんに手を向けると、彼は自分のひざを叩き、こんなことを言います。
「ああ、先生…、私は…usually…」

平野さんは一瞬、きょとん、としましたが、すぐに彼の意を察しました。リックさんは現実の生活では自転車でなく、歩いてスーパーへ行くようです。
ドリルはそもそも、口ならしの練習です。ドリルを載せている教科書も、現実の学習者一人ずつの生活を考えて作ることはできません。
「歩いて」はもっと先の課で出て来る表現ですし、「歩きで」はあまり言わないような気がしました。

数秒迷った平野さんは、にこやかに自転車の絵をしまい、自分の足を示すと、少しポーズを置き、それからリックさんに言いました。
「…歩いて、スーパーへ行きました。」
リックさんは大きくうなずき、
「歩いて、スーパーへ行きます。歩いて、西友へ行きます。」
と、元気に答えました。平野さんは続けて黄さんに合図をします。
「わたしは、自転車で西友へいきます。」
黄さんも笑ってそう答えました。
言いたいことが言えたリックさんは、その後は素直に「自転車で」「バスで」、「駅へ」「会社へ」とドリルに協力してくれました。

【どうする? どうして?】
ドリル中に、教師が与えた合図通りに話さず、自分の体験や習慣通りに語りたい学習者はいるものです。そのすべてに対応していると、授業の予定が狂ったり、とんでもなく先のことを教えてしまったりしますが、少しは取り入れてもいいと思います。杓子定規にならず、しかし脱線続きにもならないようなバランスの良さ。なかなか難しいところですね。

ついでに、ドリルのときに教師が出す合図は「キュー」と言います。キューは「言ってください」のように口で言うものだけではなく、平野さんがしたように手で合図をするものや目で語りかけるもの、またそれらを組み合わせたものもあります。ドリルはつい単調になりがちな活動ですが、キューのバリエーションを増やすだけでも、ずいぶんにぎやかになります。ぜひ試みてください。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉

第2回 型を身につけたら型破りも-ワンパターンにならない導入とは

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河田春恵さんは、事務機器の商社で働きながら、休日にはボランティアの日本語教師をしています。
彼女の最近の悩みは、授業が単調になっていることです。単語を教えて、文型を教えて、ドリルをして…という「形」はできたのですが、どことなく面白みがなく、学習者も乗ってくれません。
打開策を求めて、河田さんは今日、先輩ボランティアである今井さんの授業を見学に来ました…。

今日の授業は教科書の第10課と聞いています。河田さんは予習をして、この課では

・存在文(ドコドコに ナニナニが あります/います)
・所在文(ナニナニは ドコドコに あります/います)

を導入することを知っていました。
存在文はある場所にあることを説明したり、発見したりするときに使うもののようです。今井さんはどんなふうに導入するのだろう、河田さんは関心をそこに絞って、授業を見るつもりです。

生徒さんは3名、みな女性です。日本人に顔立ちが似た年配の方が二人、それからインド人かネパール人のような若い女性が一人です。

今井さんが入ってきて、明るく言いました。
-こんばんは!
学習者は口々に、挨拶を返します。今井さんは一人ずつに「こんばんは」を繰り返して、インド人らしい女性の飲み物を指さして、こう話しかけました。
-ナンシーさん、それは何ですか。
-これは、オレンジジュースです。
それを聞いた今井さんはいかにものどが渇いたかのようにのどの辺りを手で押さえると、財布を取り出して、こう言いました。
-オレンジジュース、いいですねえ。ナンシーさん、この辺に、コンビニがありますか?

(ええっ!?)
後ろで見ている河田さんはびっくりです。初めの会話は誰でも分かる短い文で、復習代わりにするものです。
「あります」という新しい文型を使うのは、ちょっと早いように河田さんは思いました。

さて、それを聞いたナンシーさんは、
-はい、コンビニは…
と言って、窓の外、向かいのビルを指差しました。

(やっぱり無理だよね。この先生、大丈夫かなあ?)
河田さんがそう思ったとき、今井さんは彼女を指さして、年配の女性に話しかけました。
-朴さん、あそこに女の人がいますね。あの人は、誰ですか。
朴さん、と呼ばれた女性は河田さんの方を振り返り、こう言いました。
-分かりません。

今井さんは、そりゃそうだ、という風にニコニコ笑って、言いました。

-あの人は河田さんです。こんばんは。

学習者3人はみな振り返り、河田さんに「こんばんは。」と言いました。河田さんは営業の仕事で鍛えられたスマイルで「こんばんは。」と返したものの、普通の流れと違う授業ぶりに、どうも釈然としません。

今井さんはそんな河田さんの思いなどまるで意に介せず、さらにこう続けました。
-そうですね。じゃあみなさん、この部屋に、誰がいますか?

河田さんの驚きは続きます。「います」だって未習の事項だから、当然です。
今井さんの話は続きます。
-私が、いまーす。河田さんが、いまーす。

すると、ナンシーさんがその言い方を真似して、こう言いました。
-私が、いまーす。
今井さんは指をパチン、と鳴らして大きく頷きました。
-ナンシーさんがいまーす。

こうなると、皆競争です。3人の学習者は口々に「私がいまーす」「朴さんがいまーす」などと声を上げ、それぞれに今井さんはニコニコ笑いながら、答えました。

教室が落ち着いたとき、今井さんは言いました。
-はい、みんな上手ですねえ。今日は、何課ですか、何ページですか…はい、陳さん。
陳さんは
-10課です。82ページです。
と答えました。教師も、学習者も、そのページを開きます。河田さんもページをめくり、またまたびっくりしました。そのページにでている「例文」はみな、今井さんがさっき話しかけたものだったのです。

【どうする? どうして?】
確かに、初めの挨拶はやさしい日本語を使うものですし、文型の導入~単語の導入~ドリル、といった流れに授業をきっちり分けて教案通りに進めることは、教師経験が浅いうちは守るべきです。しかし、それができるようになったら、何か新しい冒険を試みてはいかがでしょうか。

もちろん、初めからうまくいくことはないかもしれません。ティーム・ティーチングで進めている場合は、他の教師の迷惑になるかもしれません。しかし、どんな教師であれ、技量を上げるためには失敗は必ず付きまといます。失敗を恐れて、面白みがない授業を淡々と進めるより、時には破天荒でもいいから、ぐいぐい学習者を引っ張ってみることも大切です。

形ができないうちは、これは危険です。しかし、自分なりの形ができれば、次は「型破り」を考える入り口に立っていることになります。ほんの少しでいいから、流れを変え、授業を変え、ご自身を変えてみませんか?

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉


『みんなの日本語中級Ⅰ』を使った授業 非漢字圏の学習者編モチベーションを上げる授業づくりを考える

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講師:EF International Language Centers 教諭 金田さつき 

 非漢字圏の学習者が初級のテストで合格点を取り(ここまで、かなり努力して)中級へ上がっても、中級レベルの学習では、彼らにとって必要以上の負担を与えることが多くありました。中級クラスで使用していた教科書にはルビがなく、非漢字圏の学生は文型は理解できても、例文も練習問題の問題すら読めず、漢字がわからない事で、授業についていくことができないのです。
 

 彼らにとって授業は退屈なものになってしまったのではないか。ヤル気を失い反応がなくなってしまった学習者の表情をどうにか明るくしたい。学習者が興味を持って積極的に授業に参加し、時間を忘れて集中でき「今日の授業は楽しかった」と言われるような授業をしなければ。接客のアルバイトができるほど、日本語のコミュニケーション能力が高く、「話す」「聞く」ことが得意でも、「読む」「書く」ことが苦手、そんな非漢字圏の学習者に合った方法で楽しく中級日本語を勉強することができなのかと悩んでいたとき、『みんなの日本語中級Ⅰ』に出会いました。

 メインテキストとして導入する中級教材は文型を読解文で学習するものが多く、読解中心の授業になりやすいですが、『みんなの日本語中級Ⅰ』では、学習した文法事項を「読む」「書く」ことで練習するだけではなく、非漢字圏の学習者が得意とする「話す」「聞く」ことで練習し、身近な話題に置き換え発展練習をすることもできます。また、学習者が興味を持ち、自ら話したくなるような話題へと教師が持っていくこともできます。教科書を学習者と読んで終わる授業になることなく、教科書から離れた授業へと持っていくことができます。

 各課にある「チャレンジしましょう」は、その課に出てくる新出の学習項目を教科書内の「練習」をした後、自分の身近な話題に置き換えて、学習者それぞれの立場に合わせ実践するコーナーで、ここでは学習者自身に必要な日本語、使える日本語を学ぶことができます。

 例えば第2課「話す・聞く」の「チャレンジしましょう」では、「何が書かれているのかわからない紙を持ってきて、周りの人に聞いてみましょう。例:玄関のポストに入っていた『お知らせ』」

となっており、実際に学習者が自宅のポストに入っていた郵便局の不在連絡票を使用して、不在連絡票にある漢字の読み方とその意味、さらにその対処方法を授業内で知ることができます。日本語学習にとどまらず、日本での生活に役立つ実践的な知識と、新しい文型が実際に使えたという達成感も得られました。
 

 さらに「チャレンジしましょう」を利用して、学習者が興味を持っていること、伝えたいことについて、調べて発表する時間を持ちました。テーマは自分の国の観光案内や国の料理のレシピ、自分の国に伝わる昔話、好きな本や映画、興味を持ったニュースなど自由に選んでもらいました。

テーマについては授業時間に調べる時間を持ち、パソコン、携帯電話などを使い日本語で情報検索したり、教師が事前に準備した資料も使い、プレゼンテーションのための資料を作成し発表してもらいました。作業中は休み時間も忘れ、日本語を使ってクラスメートと話し合い、学習者同士、学習者と教師との距離もぐっと縮んだように思います。

「チャレンジしましょう」を活用し、漢字が読めないことで萎縮していた学習者は自信とヤル気を取り戻したように感じました。「チャレンジしよう」の活用と、その発展練習は、そこまでの学習の積み重ねのまとめとなり、とくに非漢字圏の学習者にとっては、口頭でのアウトプット量が増えることで、日本語学習へのモチベーションを上げることに効果的だったと思います。

 また、非漢字圏の学習者が苦手な読解については教科書の中にある「読みましょう」の本文を使いました。すべての漢字にルビがついていることと、分量も無理なく読める長さで、数日間に渡って解説することなく進めることができます。
全ての漢字にルビがついているので、本文を声を出して一緒に音読したり、学習者に輪読させても途中で漢字が読めずに授業が止まってしまうこともありませんでした。

 苦手な読解を克服するために、「読みましょう」のほかに、多読の時間を毎日20分取りました。この時間はただ学生が黙読をする時間とし、教師が説明しなくても理解できる簡単な本を毎日読みました。

 書く授業ですが、作文対策として、作文の時間のほかに、毎日スピーチの時間を取りました。スピーチをする学生はスピーチ原稿を書き、スピーチを聞いた学生は感想などを手紙形式で書いて渡しました。スピーチをした学生は、スピーチの感想文を嬉しそうに読んで保管していたのは新たな発見でした。

 1日の授業時間は45分の授業を2コマで『みんなの日本語中級Ⅰ』を学習し、後半の2コマはスピーチ、作文、読解、漢字の授業。6ヶ月で1課~12課を終わらせるスピードでスケジュールを組み、3ヶ月ごとに進捗スピードを調整して、可能なかぎり中間テストなどの復習テストを行いました。

 非漢字圏の学習者は、『みんなの日本語中級Ⅰ』を使用するようになってから
積極的に授業に参加し、定期テストで、合格点をとり『みんなの日本語中級Ⅱ』クラスへ進むことができました。

第3回 ゲームを使って楽しくいつの間にか-飽きさせずに繰り返し練習ってできるの?

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-数字って、なかなか身につかないっすねえ。

相馬大輔さんは、単語クイズの採点から顔を上げると、向かいに座るパーカー先生にそう話しかけました。ここは南オーストラリア州にあるジェファーソン高校の職員室です。
-日本語だけじゃなくて、外国語の教師はみんな、数字には苦労してるよ。
  何しろ、教室の外に出ればもう使わないからね。
パーカー先生はそう答え、「赤城山」と筆文字で書かれた湯飲みからほうじ茶をすすりました。

相馬さんはちょっとした偶然から、ある機関を通じて、この高校に日本語アシスタント教師として送り込まれています。来豪して数ヶ月、生活には少しは慣れてきたものの、日本語の授業は毎回、驚きの連続です。

-でも、これって入試には結構、出るんすよね。
相馬さんは覚えたての知識を披露しました。実は大学の入試選択科目に「日本語」があると知ったのは、つい1週間前にことです。

-おぉ、よく知ってるねえ!
パーカー先生は大げさにそう褒めると、ちょっとずるそうな表情を浮かべ、
-Now, Soma-sensei, I have a cunning idea…(それで相馬くんね、ちょっと僕に「いい考え」があるんだけど)
と言いました。

相馬さんがこのセリフを言われるのは、赴任以来4回目です。残業とか手間のかかる仕事とかを依頼される場合の、パーカー先生のお約束なのです。でも引き受けるといつも、豪華な夕食をご馳走してもらえるので、相馬さんにも悪い話ではありませんでした。

-テスト勉強用に、生徒たちが数字を覚える良い教材、作ってみない?
パーカー先生は言いながら、ナイフとフォークでステーキを切る真似をします。
-ま、マジすか?
そう答えながら、もう相馬さんにはひらめくものがありました。

☆      ☆      ☆      ☆
翌週の水曜日、相馬さんはパーカー先生から20分ほどをもらい、自作の数字を覚える教材を、日本語のクラスで初めて試してみました。

-今日は、私は、みなさんに、プレゼントを、あげます。このプレゼントを使ってください。そうすればSACE(南オーストラリアの大学入試用の共通試験)で、よいスコアがもらえます。
生意気盛りの11年生(高校2年生)たちも、入試で良い点と聞き、いつもの無駄口をたたかずにプリントに見入っています。生徒たちの反応を見ながら、相馬さんは説明を続けます。

-これは、マッチングです。初めのラインの「あいうえお」、わかりますね。上のラインは、アルファベットです。たとえば、「K」のラインの「あ」は、「か(K-A)」ですね。じゃあ皆さん、「か」のところのナンバーは、何ですか?
-ろくじゅう、さんです。

一番に答えたのは、いつも最前列で熱心に授業を聴いているジェフリー君です。
-そうです! ジェフリーくん、1ポイントです!
そう褒めながら、相馬さんはすばやく森永キャラメルをひとつ、大仰な仕草で手渡しました。
これは彼女である河田さんからの差し入れですが、パーカー先生とのディナーと引き換えに何粒かは投資するつもりです。

-OK。ジェフリー君、次はジェフリー君が聞いてください!
相馬くんはそう言いながら、小さなライブハウスにいるように右手を回しました。
生徒たちの目が、自分とジェフリー君に注がれるのがわかります。

-はい! あぁ…「D」ラインの「あ」は何ですか?
生徒たちはそれを聞き、「3.14」は日本語でどういうのか、思い出しています。小数の言い方は一度習ったきりで、忘れてしまったようです。
後ろの席の女子学生、ジェニファーさんがやっと答えました。
-さん・てん・じゅうよん、です!
-あぉ惜しい! もう少しです!
それを聞いた何人かが思い出したらしく、口々に言いました。
-さん・てん・いち・よん!
-OKです!
相馬さんはそう言い、次のキャラメルを持って教室の後ろに走りました。パーカー先生はプリントから目を上げ、教室の熱気を目にすると、今夜の夕食はどこにしようか、考えはじめました…。

【どうする? どうして?】
ひらがなとカタカナ、それに数字の言い方は一度やったきりではなかなか生徒は覚えません。特に授業時間が少なく、教室外では日本語を使わない海外の教育では、これらの定着は難しいものです。
こんなときには、相馬さんが試みたように、ゲームや競争の形式で繰り返すことも効果があります。単調な暗記を強いるよりは、「勝ちたい」「キャラメルが欲しい」といった小さな欲求と学習を結びつけて、楽しく学ばせると、意外な効果があります。

プリントには普通の数字だけではなく、分数や小数、「~度」と言った単位付きのものまで載っています。空欄は、読者の皆さんが考えて入れてみてください。相馬さんはかなに対応する数字を生徒たちに言わせていましたが、言わせる代わりにひらがなで表記させたり、あるいは逆に数字を言って、それに対応するかなを言わせたり書かせたりしても、面白いと思います。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
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第4回 いつだってワガコトが話したい-教科書の内容をどう自分のことに料理する?

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日本語ボランティアの河田春恵さんは、まだ「単調な授業」から抜け出せることができません(第2回参照)。先日、ボランティア仲間である今井さんの授業を見学させてもらいましたが、彼のように破天荒な、しかしきちんと収まるところに収まる授業は、自分にはとうてい真似できそうにありません。

一方、授業の単調さは払拭できないままです。時間内に一通りのことは終えるのですが、
・テープは聞くだけ
・ドリルはするだけ
・ビデオは見るだけ

で、そこには自分が留学時代、英語の授業で感じたような、外国語を学ぶワクワク感がないのです。国際交流センターにあった教え方の本を見たら「良い授業のためには活動を組み合わせてみる」とあったので、会話のテープを聴いた後、生徒さんにそれぞれのパートを割り振って言わせてみたりしたのですが、やっぱりノリは悪いままです。

☆       ☆       ☆       ☆

-やっぱ、アタシ、向いてないのかなあ。

河田さんはカフェの正面でエアギターをしている相馬さんにそう言いました。相馬さんは河田さんの彼氏で、その気もないのに派遣プログラムでオーストラリアに飛ばされ、とある高校で日本語アシスタントをしています。

4ヶ月ぶりの帰国なので、二人は表参道でデート中ですが、今日の河田さんはグチが多く、自分でもそのことに気づいてしまっているだけに、重い気分が晴れません。

-それってさあ、
 エアギターの手をやめた相馬さんが切り出しました。

-何つうの、教科書に書いてあることがさぁ、習う方にグッと入ってこないんじゃね?
 河田さんは返事をせず、「何それ?」と言いたげな表情です。

-俺も英語習ったとき経験あんだけど、ジョンがナオミをパーティに誘う場面、とか会話にあってもさぁ、俺この二人とも知らねえし、関係ねえし、とか思わない? 

-そんなこと言ってもしょうがないじゃん、教科書にそう書いてあるんだから!

 まぁまぁ、と相馬さんは彼女を手でなだめつつ、
-枠を外れない程度で、ちょっとサービスしたっていいじゃん。例えばロックバンドが日本ツアーする時は、ギターで「♪さくらさくら」を弾いたりすると喜ぶじゃん。あんな感じでさ。

-でも、そんなこと言われてないし、次のボランティアの人に迷惑かかんないかなあ。

-じゃあ春恵って、次のボランティアに迷惑かけないために日本語教えてんの? それって違くね?

相馬さんはそう言うとグラスに残ったアイスコーヒーを飲み干し、またエアギターに入りました。その長い指先を見つめながら、河田さんはまた考え込んでしまいました。

☆       ☆       ☆       ☆

次の授業日、河田さんの担当は39課からです。

この課の文法事項は理由を述べるための文型で、会話は、遅刻をした人がその理由を述べて、あやまる場面です。
生徒さんは中国人男性の王さん、マレーシア人のリンさんです。オーストラリア人男性のスティーブさんはまだ来ていません。王さんは頬杖をつき、リンさんは昼間のアルバイトで疲れたのか、机に突っ伏していました。
(この人たちにとっての「♪さくらさくら」をしなくちゃ…)

河田さんは心でそう言い聞かせ、3枚の画用紙を取り出し、一枚目を二人に示します。
いつものまったく同じフレーズ(はい、○○ページを開けてください)から授業が始まると思っていた王さんとリンさんは何事か、と前を見やります。

そして一枚目の絵を見たとたんに、二人は吹き出しました。
そこには、済まなそうな顔で手を合わせている王さんのイラストがありました。

-それは、私、わたしです。
王さんは、すぐに自分だと気づいたようで、河田さんにそう言います。

河田さんは(笑ってる! 二人が笑ってる!)と内心、驚きを隠せません。しかしニッコリと頷いて、二枚目のイラストを示しました。二人は今度は目を見開きました。イラストは、交差点でトラックと車が衝突しています。事故の写真を見ながら描いたので、妙にリアルです。

そして三枚目、二人の学習者はまた笑い出しました。
今度のイラストはリンさんで、渋い顔をして腕組みをしています。

-王さん、リンさん。絵が三枚あります。これを使って、ストーリーを作ってください。
二人はまだ、理由を示す言い方を習っていません。しかし絵を受け取るとすぐに、並べ替えたり指差したりして、会話を作りはじめました。

10分後、二人はイラストを示しながら、こんな会話を作りました。
 
王:ごめんなさい。遅れました。
リン:どうしたんですか。遅いですね。
王:トラックと車の事故です。それを見ていて…ごめんなさい。
リン:じゃあ仕事をしてください。 

河田さんは頷いて拍手をしました。二人は理由を示す言い方を習う心の準備が、しっかりできているようです。
(じゃあ、導入行くかな。)
そう思ったとき、ドアが開いて、スティーブさんが済まなそうに入ってきました。王さんとリンさんはなぜか手を叩いて、彼を迎えました。スティーブさんは河田さんのほうを見ると

-ごめんなさい、遅れました。
 と言いました。それを聞いた二人は、また手を叩いて喜びました。

【どうする? どうして?】
相馬さんが言いたかったことは、学習者に、授業の内容を少しでも「ワガコト」と思ってもらえばどうか、ということでしょう。「ワガコト」、つまり自分に関心ある事項は早く覚えますし、習おうという気持ちも強いものです(これは心理学の動機づけ理論の「親和動機」で説明できます)。授業の内容が「ワガコト」でなかったら、それをワガコト化してしまえばいいのです。教科書の内容を一字一句違わず進められなくても、まず受講している授業に興味を持ってもらうことが大切です。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
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『日本語能力試験模擬テスト』の活用-学内模試のメリット-

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講師: 東京三立学院 副校長 及川信之

この春の『日本語能力試験模擬テスト』シリーズ第3弾の刊行は、これまでの2レベル(N1、N2の全4冊)を利用してきた当校にとって歓迎すべきことでした。当校は進学コースの学校で、どちらかといえば日本留学試験への対応授業が中心であるため、日本語能力試験受験者にはこの模試の使用が受験前の大切な力試しとなっているからです。

語彙や機能語など日本語能力試受験者のレベル(N1・N2)に分けて対策授業をおこなっている学校も多いと思いますが、定着を確認する小規模なテストは学内で対応できても、やはり試験が近づくと本番さながらの模試が必要なのではないでしょうか。全体のボリューム、時間配分、解答スピード、そして緊張感、どれもが通常枠の授業内ではなかなか体感できないものです。ましてや学習者が自宅で取り組むとなると極めて難しいと思われます。

では模試を受けさせればいい、ということになるのですが、学習者にとって一番いいかたちの模試とは何かを考えてみましょう。

まず「費用が安いこと」。学習者負担であれば当然です。

二つめは「本番と同じ時間と分量でチェックができること」
模試タイプの問題集は数多くありますが、前述のように学習者個人で行うのは難しく、教室のような会場で行う必要があります。

三つめは「模試受験後、解説が受けられること」
得点や不正解箇所がわかるだけでなく、なぜその解答になるのかということを受験者であれば知りたいはずです。

そして四つめは「受験者自らが復習できること」
特に聴解に再度取り組めることが重要なのですが、外部の模試などでCDが配られることはありません。

こう考えると理想の模試を受けさせるのは不可能なように思えますが、これを可能にしたのがスリーエーネットワーク『日本語能力試験模擬テスト』(以下『模擬テスト』)だったのです。一見日本語能力試験1回分の問題をそのまま本にしただけのようですが、活用の仕方で理想の模試が実施できます。当校では2年前からこれを学内実施の模試としておこなっており、今年はN1・N2とも3巻目の使用を決めています。

では、どのように学内模試を実施しているのかをご紹介していきましょう。

まず日程を決め、受験希望者を募ります。そして人数分の『模擬テスト』を発注し受験料を集めるのですが、当校の受験料は945円。つまり『模擬テスト』の税込価格と同じなのです。模試としては格安ですし、終了後は当然CD付きの本そのものがもらえるわけですから、この段階で前述の条件一つ目と四つめはクリアです。

そして当日。教室を準備し本番試験とほぼ同じ時間枠で模試を行うのですが、できるだけ緊張感が持てるように、監督教師はいつもの笑顔を封印して対応します(笑)。これで二つめの条件にかなっています。

『模擬テスト』は解答やスクリプトを除いたテスト部分がプルアウトタイプになっているのが特徴で、これが大変都合がいいのです。
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最初に『模擬テスト』を渡して説明した後、受験者本人に問題冊子(テスト部分)を抜き取らせ、残った本体を各自が鞄などにしまえば模試の準備は万端です。あらかじめ問題冊子を教師が抜いておくより、新品の状態で一度手元に配られたほうが受験者の気持ちも引き締まるようです。なお、マークシートは印刷されていますが、使いやすさを考えて、A4版のものを別に用意して配付しています。

実施後はN1・N2ともそれぞれ「ポイント解説」を教師が行います。受けっぱなしにならないのが学内で行う最大のメリットで、受験者たちからの質問も次々と飛び交います。現実的には1時間ほどの解説のため、全設問を振り返ることはできません。それでもキーワードや着目部分、選択肢の消去法など正答を導く解法ポイントをシンプルに伝えていくことで、逆に集中した振り返りができているようです。当然教師は模試の全設問を把握していますから、翌日以降の質問にも即座に対応できます。こんなことができる模試は一般にありません。三つめの難条件も学内で実施すればこうしてクリアできるのです。

このように当校ではスリーエーネットワーク刊『模擬テスト』を利用することにより、学内で理想的な模試を実施しています。もちろん日程調整や教師の負担、経費は必要ですが、学内でコンパクトに行うことがなにより学習者のメリットとなっているのです。教材は何を与えるかよりどう効果的に活用するか、学校としてそれを考えることが大切なのではないでしょうか。

<N1模試時間割(例)
    9:00
    9:10
    11:00
    11:10
    12:15
    12:25
    13:30
 説明
「言語知識」~試験
 休憩
「聴解」試験
 試験終了・休憩
 ポイント解説
 終了

第5回 大きな意味と個別の意味-助詞の意味や働きをどうやって伝えればいい?

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平野さんは日本語ボランティアです。今日は授業のあと、駅前のカフェでお昼を済ませながら、教案を見直しているところです。
平野さんは授業のあと、なるべく早く教案を見返しながら、学習者の反応やうまく行かなかったところ、疑問点などを赤ペンで入れる習慣があります。

目下の彼女の課題は、「助詞の教え方」でした。

助詞は中国人の学習者のように、そもそもその概念がない国の出身者には教えることが難しく、また教えても次から次へと新しい用法が出てくるので、そのたびに解説が必要です。これが意外に時間を取ってしまい、文型や練習に割く時間が削られてしまいます。
今日の平野さんも、「から」の説明に時間がかかり、練習Bまで進める予定だったのが練習Aの途中で終わってしまい、心残りになっていました。

助詞の「から」は、教科書ではふつう「9時から5時まで」と時間とともに使われる用法で最初に出てきます。その後、「東京から大阪まで」のように空間を示す言い方が加わり、さらに

・箱から手紙を出す
・牛乳からチーズを作る
・カナダ人から英語を習う

など、時間でも空間でもない用法が出てきます。

今日、平野さんはマレーシア人学習者のチアさんから
「鈴木さんは家から出た。」
「鈴木さんは家を出た。」
の違いを聞かれ、じょうずに答えられなくて時間を使ってしまいました。

手持ちの電子辞書で「から」を引きましたが、個々の意味が別々に載っているばかりで、これでは解決にならないどころか、新たな意味が加わる一方で、助けにはなりません。
飲みかけのカフェラッテを脇にやり、個々の「から」の意味に合う例文をノートに書きこんでいた平野さんは、あることに気がつきました。
(何か、重なり合う共通の意味があるのよね…。)
「受け取る相手」とか「始まりの時間」とか、意味はさまざまですが、平野さんにとってはそれはどこか似ていて、共通する大きな意味があるように思えました。
(もし、それを上手に教えられたら推測が付くようになるんだけどなあ)

目の疲れを感じた平野さんは「先生」をするときのメガネをはずして、ソーサーの手前に置きました。それをぼんやりと見るうち、彼女は自分の思い付きを形にする方法がひらめきました。

☆      ☆      ☆      ☆      ☆

次の週、平野さんの生徒はまたマレーシア人のチアさんでした。チアさんは国で学校の先生をしていたこともあり、口は重いのですが、分析的に考える人です。

-チアさん、先週の質問ですが…。
平野さんは、そう言って一枚の手書きの紙を彼女に示しました。紙にはメガネのフレームのような形が描かれており、チアさんは小首をかしげて、じっとそれを覗き込みます。

-「から」は、いつも「始まり」です。そこから、何かが始まります。たとえば「9時から仕事が始まります」「東京から、大阪まで行きます。」などですね。
-じゃあ先生「家から出た」と「家を出た」は何が違いますか。
-それは、ここを見てください。

平野さんは、絵の上のほうを指差し、こう言いました。
-「から」の始まりは、いつもハッキリ、よくわかります。目で見ることができます。たとえば、地震です。大きいです。だから、鈴木さんは家からでました。
そう言いながら、平野さんは揺れている家をサラサラと手書きしました。

-「家を出ました」の「家」は、見ることができるとき、できない時があります。たとえば、鈴木さんは学生です。でも、結婚して家を出ました。この場合、チアさん、たとえば買い物のために出ましたか?
-いいえ。たぶん、夫の人と、いっしょに…あぁ、新しいアパートで…生きます。
-そうです!

平野さんは思わず大声になり、チアさんの日本語のミスはあとで直すことにしました。
-このときの「家」は建物の家と家族がいっしょです。鈴木さんの、頭の中にある「家の考え」のことです。
絵を見ながら考えていたチアさんは、納得したように頷くと、

-じゃあ先生、「大学から出ました」は学生が、今日の勉強が終わって、学校の外に行きましたね。そして、「大学を出ました」は、あぁ、graduation (卒業)ですか?

-ハイ、そうです。
そう答えながら、平野さんは自分のつたない説明でもチアさんがよく理解したことに驚き、彼女の例のほうがもっと良かったな、と思いました。

チアさんはそんな平野さんの気持ちに気づいていないようで、
-先生、わたしはこの紙をもらっていいですか?
と手を伸ばしました。
-あ、これは一枚しかないので、コピーをしますね。
平野さんはそう言い、立ち上がってコピー機に向かいました。
(3時間も考えたんだから、この紙は宝物よね。)

【どうする? どうして?】
平野さんの直感、つまり「さまざまな助詞の意味には、その全体を括るような大きな意味がある」というのは認知言語学で言う「超スキーマ」という考え方に近いものです。
同音異義語は別として、ある語が同じ形をしていれば、その意味構造はだいたい同じです。その全体を統括するような意味がスキーマです。

平野さんは今回、考えに考えて「から」が「はじまり(=起点)」を示し、その後の移動も含意することを述べて、「を」との違いを明らかにしました。この
○「から」は起点・移動に焦点を当てる
という考え方を進めると、類似の助詞

○「に」は何かの動きの到達点、つまり「着点」に焦点を当てる
ことが見えてきます。
「チアさんは平野さんから答を教えてもらった」
「チアさんは平野さんに答を教えてもらった」
はどちらも言えますが、

「チアさんは平野さんに写真を撮ってもらった」
は「から」は使いません。それは、「に」は情報やものの移動よりも、写真を撮ってあげるという恩恵が「誰に」向けられたかに焦点が当たるためです。「作ってもらった」「見てもらった」なども同じですね。

このように、理論的なことは面倒ですが、実際の教え方に直結するものでもあります。時々は専門書を開き、日々の授業実践や教科書の内容と照らし合わせながら考えるのも、大切なことだと思います。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉

第6回 聞く練習も手を変え品を変え-ディクテーションも個別化で興味津々になる?

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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編

日本語のボランティア、今井さんは今、中級クラスの教室にいます。生徒さんはインドネシア人のイルマヤニさんと、フランス人のトマさん、どちらも男性です。

今井さんは今期、初めて中級クラスを任されました。自分を誘ってくれた先輩教師が入院してしまったので、役目が回ってきたのです。嫌といえない性格で引き受けたものの、どうも授業がうまく進みません。

最初は、国際交流センターの図書室にあった中級教科書を使ってみました。ところが初級のときのように文型を導入し、次に新しい単語を教えて、と進めると複雑な事項が多いため、進み方が遅くなることがわかりました。加えて生徒さんは二人ともビジネスマンなので、仕事にすぐ使える日本語を習いたいようです。

そこで今井さんは自分なりの中級授業を模索することにして、さっそく仕込みにかかりました。

☆     ☆     ☆     ☆

1週間後、中級の時間がやってきました。生徒さんは2人とも仕事のあとで、少し疲れた表情です。

-イルマヤニさん、トマさん、こんばんは。
内心の不安はおくびにも出さず、今井さんはにこやかにそう言いました。

-これから、日本語を聞きます。聞いたことを紙に書いてください。

-ディクタシオンですか?
黒革のブリーフケースからペンを取り出して、トマさんが聞きました。

-え?
今井さんには何のことだかわかりません。

-はい、トマさん、ディクテーションです。聞いて、書きます。
イルマヤニさんも短くなった鉛筆をジャンバーから取り出すと、そう言いました。

-はい、そうです。聞いてください。そして書いてください。
今井さんはイルマヤニさんの助け舟に感謝しました。これが何度目のフォローか分かりません。今井さんも答えられないような質問に、いつも学習者目線で答えるイルマヤニさんは今すぐにでも日本語教師になれそうですが、水産会社のマネージャーとして、忙しい毎日です。
今井さんは買ったばかりのタブレットを取り出し、音声ファイルを取り出して、再生ボタンを押しました。耳を澄ます二人に、音声が流れてきます。

―イルマヤニさん、トマさん、こんばんは。
二人は、おおっ、という表情で顔を見合わせます。聞こえてきたのは、ボランティア仲間である河田さんの声です。これを仕込んだのは、もちろん今井さんです。

―これから、短い話を聞きます。聞いたことを全部、紙に書いてください。…では、始めます。
二人はペンを持ち直しました。少しの沈黙のあと、また河田さんの声が流れます。

水産会社のスカルノ・フィッシャリーは今日、日本向けの冷凍エビの輸出を増やすために、
大きい倉庫を品川区鮫洲にレンタルすることにしました。ところが前の借主であるフランスの家具会社イジドールがなかなか倉庫を引き払わないため、不動産会社に相談しました。

今井さんは音声を止めました。二人は熱心に書き取っています。その表情を見ながら今井さんは、
(ここまでは、まあまあかな?)
と、思います、実はスカルノ・フィッシャリーはイルマヤニさんの、イジドールはトマさんの、それぞれ勤め先の名前です。そして、イルマヤニさんの会社が新しい倉庫を借りていることも、トマさんの会社が鮫洲にあることも事実です。明らかに自分に関係あることが女性の声で読まれていることもあり、二人とも聞いた文を書くことに必死です。

-先生、すみませんがもう一度、お願いします。
そう言われた今井さんは、

-その前に、二人でお互いにチェックしてください。
と、涼しい顔で言いました。二人は互いの答案を見せ合い、確認しています。やはり自分に関係ある社名や地名は分かりますが、相手方のはさっぱりのようです。

-トマさん、これは「れと」じゃなくて「れいとう」です。フローズンです。

-さめずは漢字でこう書きます、イルマヤニさん。
などと相手に教えあっています。協力してもどうにも分からない空白ができた時、今井さんはおもむろに2回目を聞かせました。
今度は、分からないところだけを聞き取るから早く進みます。
結局、3回聞いてから、今井さんは二人にホワイトボードに書いてもらいました。さらに4回目は一文ずつ聞き、空白や間違いは今井さんが得意の達筆で直しました。
二人が書き取ったところで、今井さんは質問をしました。

-トマさん、スカルノ・フィッシャリーは何の会社ですか?

-その会社は、どうして倉庫をレンタルしたいですか?

-何が問題ですか? そのために、何をしましたか?
二人が互いの助けを借りて何とかそれに答えると、今井さんは文の前半をイルマヤニさんに、後半をトマさんに、それぞれ解説してもらいました。二人の解説が終わると、最後に今井さんはまたタブレットを取り出し、河田さんの声を一言だけ聞かせました。

-イルマヤニさん、トマさん、おつかれさまでした。今日の授業は、終わりです。また練習しましょうね。さようなら。

-さようなら!
インドネシア人とフランス人は、打ち合わせたかのように声を合わせてそう言いました。そして満足気に教室を立ち、家路につきました。
(ヤレヤレ、手間はかかったけど、かけただけのことはあったかな?)
今井さんはそう思い、忘れないうちに河田さんにお礼と報告のメールを打つため、タブレットの画面にまた触れました。

【どうする? どうして?】
今井さんが編み出した方法を応用言語学の観点で分析すると「個別化したディクトグロス」ということになります。ディクトグロスとは、聞いて書く活動であるディクテーションを文法事項の復習や学習者の気づきという観点から読み替えた活動です。

今井さんの工夫は、二人の生徒さんに興味を持ってもらうために、それぞれの勤務先や会社の事情を入れ込んだ内容を作ることで、興味を抱かせたこと(これが「個別化」で、地域特産の教材を作る「地域化」より、さらに個別の学習者に根ざした内容になっています)、そして敢えて女声で録音して聞かせたことです。

学習者も男性、教師も男性という場合、教室で女性の声を聞く機会は教師が意識的に作らない限り、なかなかありません。言語学習とは音の学習なので、このような工夫も積極的にしてみると良いでしょう。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
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もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉

『みんなの日本語初級』の使い方。練習を活用してコミュニケーション能力を伸ばそう!-コミュニケーションをとろうとする姿勢作り-

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特別連載 日本語教科書活用講座⑬ / 『みんなの日本語初級』の使い方

講師:明海大学外国語学部 応用言語博士 西川寛之

教科書の使い方を考える時に、どこで使うのかを考えることはどの教科書でも重要なことです。今回は、数か月から1年間程度、日本語の勉強に集中して生活する人々、例えば留学生や研修生に教えるときの使い方を考えます。

よく耳にするかもしれませんが「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」という言葉があります。これを実践するには教科書のことを知る必要があります。多くの教科書には「まえがき」や「使い方」などが本課に入る前にあります。「まえがき」などには教科書を知るための情報があるので必ず読んで使ってください。   

『みんなの日本語初級Ⅰ第2版本冊』の場合は、本課に入る前の「効果的な使い方」に説明がありますが、学習項目ごとに授業を進めることが重要です。そして、そこで学んだ学習項目をどのようにコミュニケーションの中で使うのかを、目の前の学習者に合わせてアレンジすることは私たち日本語教師の仕事であり、腕の見せ所でもあります。

●コミュニケーションにつなげるテキスト活用法 
では、『みんなの日本語初級Ⅰ』の6課を例に見てみます。

6課に入るまでには「~ます」の4つの形を勉強しています。「~ます」「~ません」「~ました」「~ませんでした」に加えて質問する表現を作るための「(ます)か」を勉強しています。そして、6課では新しく「~ませんか」という表現を勉強します。5課までは事実を確認する会話が中心で、6課になると、人を誘う(「一緒に行きませんか」)、提案する(「10時に会いましょう」)といった、相手に働きかける表現が出てきて、コミュニケーションの幅が出る重要な課です。

この稿では6課の「~ませんか」を使うまでの学習の中で、他の人とコミュニケーションをとろうとする姿勢を作る授業の流れをご紹介します。

各課のはじめにある「文型」から学習項目を見ると、6課では練習Aに5つの文型が提出され、これらを1つずつ勉強していきます。

(みんなの日本語初級Ⅰ第2版 本冊 p230 より抜粋)

まず1つ目の学習項目(わたしは パンを たべます)に関しては、

練習A-1

練習B-1

B-2

B-3

練習C-1

と進みます。クラス授業の場合、教科書に出てくる問題を基にして、クラスメートの中でお互いのことを質問するような活動が入ると活気が出、各自が実際の社会の中でコミュニケーションをする時にどう使えばいいかを理解し運用につなげるようになります。

●「本物」の質問を授業に組み込む方法
練習A‐1は、「●●をVます」という単純な文で、

練習B‐1では、「水を飲みます」「本を読みます」「手紙を書きます」「写真を撮ります」と、助詞「を」の前に言葉を入れる練習をします。

練習B-2では、これを質問として相手に投げかける練習が行われます。「お酒を飲みますか」といった質問に、「はい」または「いいえ」で答える練習です。

ここまでは機械的なドリルを行っています。この直後に学習者同士でクラスメートの名前を呼んで本物の質問をします。
ここで言う本物の質問というのは、相手のことを知らない人が「きのうテレビを見ましたか」と質問したとき、その答えが「はい」か「いいえ」かわからない状態での質問です。(このような質問をレファレンシャル・クエスチョンと言います)本物の質問を練習の随所に入れ込むことは授業での大切な工夫です。活動としては練習問題を機械的に解く単純なものでも、正確な表現を身に付けるだけでなく、自分が言いたいことをどのように言えばいいのかと考える習慣が身に付きます。

因みに教科書の指示に従って答える練習のように、教師がすでに答えを知っている状態で、その答えを言わせる質問をディスプレイ・クエスチョンと言います。これは読解や聴解の授業などで、内容を理解しているかどうかを確認するには有効な手法ですが、コミュニケーション活動としては「本物」ではありません。

問題の解答を文字で書いて正確さの確認をすることもあるでしょうが、口頭での活動を皆さんもとり入れていると思います。その時に、解答に対して一言付け加えてみてください。例えば、「きのう、本を読みました」という解答があったら、「(何の本を読んだのか問いかける目的で)ハリーポッター?ワンピース?」というような問いかけをします。初めての時には、解答以外の質問をされることは予想をしていないと思いますが、普段の授業から例文を作るときにも具体的なイメージ持つ習慣をつけることで、より運用力を高めることができます。このような活動を続けていると、練習C‐1を終えた後に、クラスメート間でかなり自由なやり取りができるようになります。
 

●自分で増やす練習D
私の場合、このような活動として『みんなの日本語』に練習Dを加えることを意識しています。

練習Dというのは私が自分で付け足している活動のことで、練習問題で問われていることに一言付け加えたやりとりをすること、クラスメート間で本物の質問をする活動のことです。自分では「練習D」と呼んでいます。

「日曜日、何をしましたか」というような練習の「日曜日」を「きのうの夜」「あした」などに入れ替えることで自由な会話をする応用練習が自然に始まります。クラスメート間の関係が良ければ、誰かが日曜日にデートをすることを知っていて「今度の日曜日、何をしますか」など、いたずらっぽく質問するような状況も生まれます。このような質問は、実際のコミュニケーションを行う上で人間関係を円滑にする大切なコミュニケーションスキルです。

教科書にある表現を正確に使うことも大切なことですが、さらに初級前半の数少ない表現を使っていきいきとしたコミュニケーションができるように仕向けるのも日本語教師のやりがいであり腕の見せ所。皆さんもぜひ練習Dをとり入れてください。

今回の教科書活用講座は「2013 スリーエーネットワーク 日本語・外国語 図書目録」に掲載したコースデザインひとくちメモに加筆したものです。
▶図書目録のお申込みはこちらから


第7回 役目を与えてみんな活躍―レベルが違う学習者が混在するクラスでの対応は?

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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編

日本語ボランティアの河田春恵さんは前回、学習者の似顔絵を使った授業(第4回参照)がうまく進んだので、ご機嫌です。今日はノー残業デーで早く帰れたので、気合いを入れて準備に取り組んでいました。

ところがボランティア事務局から入った1本の電話で、またまた河田さんはヘコんでしまいました。何でも初級クラスの先生の都合が悪くなって辞めてしまい、代わりの人が見つかるまで、そこの生徒さん2名を河田さんの初級クラスに一緒に入れてほしい、と言うのです。

彼女が教えている3人の生徒さん―中国の王さん・マレーシアのリンさん・オーストラリアのスティーブさん―は、初級といっても後半レベルで、かなり上手に話せます。ここに日本語を始めて2ヶ月程度の人が入ってきても、経験の少ない河田さんには、授業をうまく進められるかどうか、まったく自信がありません。

☆          ☆          ☆

次の授業日、河田さんは教室に入りました。

目の前の様子は、彼女が想像していた通りです。王さんとリンさんは隣り合って最前列に座り、新しい生徒さん―インドネシアのジョニさん、ベトナムのグエンさん―は、最後列で心細そうに座っています。 

(大丈夫かなあ…。)
不安になりながらも、河田さんは4人と挨拶を交わしました。スティーブさんはいつも通り、まだ来ていません。

(でもアタシが元気にやらなくちゃ、授業にならないか。)
自分にそう言い聞かせると、まず河田さんは王さんに話しかけました。

―王さん、ちょっと前に来てください。
王さんは立ち上がると、メタルフレームのメガネを押し上げ、何だろう、という表情で河田さんの前に立ちました。河田さんは1枚の写真を王さんだけに見せると、黙っていてね、と人差し指を唇に当てました。そして王さんがその写真を見ている間、他の3人に、白いコピー用紙と中字のフェルトペンを渡しました。

―ジョニさん、グエンさん、前に座ってください。どうぞ。
河田さんは「新入生」の2名を前の席に促すと、王さんが手にした写真を指さしました。

―これは、王さんの、友だちの、写真です。どんな人ですか? もちろん、わかりません。日本語で、質問を、してください。王さんは、その絵を見て、答えてください。皆さんは、答を聞いて、絵を描いてください。
ゆっくり区切って、噛んで含めるように河田さんは話しました。休暇を終えてオーストラリアへ戻った相馬さんから、たいていのことはゆっくり明瞭に話せば通じる、と聞き、試してみたのです。
どうやら、初級前半の二人も理解したようで、フェルトペンのキャップを取り、身構えました。

―ハイ、じゃあ質問です。
先輩の余裕で、リンさんがまず訊きました。

―王さんの友達は、背が高いですか、低いですか?

―低いです。ああ、この人は、友達です、でも子供です。
王さんの答を聞き、リンさんがまた訊きました。

―髪の毛は、長いですか。

―いいえ、短いです。でも、これの、感じ、です。
王さんも写真を見て描写するのに慣れていないようで、流暢には話せず、手を眉のところに当てると、そう答えました。

それを聴いた3人は、いっせいに子供の頭らしき絵を描き、髪がひたいを覆うようにペンを走らせます。3人は聞いて描くだけの立場ですから、この場に限って言えば、あまり日本語の差は感じません。
2回聞いたリンさんは、どうぞ、と言うように、2人の後輩に手を差し出しました。ジョニさんは丁寧に頭を下げると、質問をしました。

―顔は、あぁ、いくら…ですか?
河田さんが直そうとする前に、リンさんは

―あの、「どんな」ですか?
と、訂正しました。王さんは写真を見て、

―顔は丸いです。そして、目も丸いです。
そう答えました。日本語を直してもらったジョニさんは、リンさんに頭を下げ、髪型の下の顔を丸く描きました。グエンさんも同じように、丸顔で額に前髪がかかった子供の顔を描いています。

(大輔、サンキュー!)
スムーズな展開を見ながら、河田さんは心でそう呟いて、すこしほっとしました。

実は河田さんは帰豪直後の相馬さんにメールを打ち、彼の上司に当たるパーカー先生から、能力が違う生徒が混在する教室ではどうすればいいのか、ヒントを貰うように頼んだのです。いま目の前で4人がやっていることは、パーカー先生が教えてくれた活動でした。

―服は、何ですか?
今度はベトナムのグエンさんが聞きました。王さんは、

―あのう、ズボン、です。そして、ズボンが上、長い…。
王さんは戸惑ってそう答え、オーバーオールの胸当てを手振りで示しました。3人は納得したように絵を進めます。日本語力はともかく、絵は後輩の2人が上手です。

10個以上の質問が出たあと、河田さんは王さんに写真を見せるようにと指示し、3人もその写真とそれぞれの絵とを比べてみました。写真の男の子―河田さんの甥です―にいちばん似ていたのは、グエンさんの絵でした。

―じゃあ、グエンさんが一番です。でも、リンさん、たくさん日本語を手伝ってくれて、ありがとう!
絵では一番になれなかったものの、半ば先生扱いをされたリンさんも嬉しそうです。
その時、廊下からせわしい足音が聞こえました。
それを聞いた河田さんはひらめき、廊下へ駆け出ると、ちょうどやってきたスティーブさんをその場へ留め、教室のドアを開けると次の指示を出しました。

―じゃあ、またやりましょう。今度は、新しいクラスメートです。いま、外にいます。ジョニさんとグエンさん、質問をして、絵を描いてください。リンさんと王さん、質問に答えてください…。

【どうする? どうして?】
河田さんがやった活動は、実際に英語圏の中等教育で、日本語の運用力が違う生徒が一つのクラスに混在した場合に使われる方法です。この活動が優れている点は、二つあります。

一つは、出来る方(王さん)が写真の描写という難しい役割に回り、まだ出来ない方(ジョニさん・グエンさん)は質問をするという、比較的易しい役割に回ったことです。そしてもう一人の出来る方であるリンさんは二人の日本語のサポートに回り、4人が運用力に応じた役目を果たしたことになります。

もう一つは、絵の巧拙という評価要素を取り入れることで、日本語が十分ではない学習者にも、何らかの形で活躍できる余地を残したことです。運用力が混在するクラスでは、普通に授業をしては互いの差が目立ってしまい、出来る方と出来ない方、双方の不満が大きくなってしまいますから、さまざまな方法でその差を見えにくくする、いわば漂白する工夫が求められます。

河田さんが使った甥の写真

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉

第8回 入試は高得点!本当の解法ストラテジーとは?

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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編

相馬大輔さんは、南オーストラリア州の高校で、日本語のアシスタント教師をしています。彼は前回作成した「かなと数字のマッチング」(第3回参照)が好評だったので、ここ数日、ご機嫌です。
良いことは続くもので、今日の昼休み、上司にあたるパーカー先生が、昨日のパーティーのレフトオーバー(=残り物)だといって、有名イタリアンのシーフード・ピザを山ほど持ってきてくれました。

―ありがとうございます、先生!

―冷凍すれば、ずっともつから便利だよ。
そう微笑むと、パーカー先生は相馬さんの肩を軽く叩きました。愛想笑いを返した相馬さんですが、パーカー先生の手が肩から離れないのを怪訝に思い、目を合わせました。

-Now, Soma-sensei, I have a cunning idea…(それで相馬くんね、ちょっと僕に「いい考え」があるんだけど…。)
お約束の一言です。今回の依頼は何か、恐る恐る相馬さんが聞いてみると、12年生(=高3)に対する、大学入試試験のリスニング指導をやってほしい、とのことでした。

パーカー先生から前任者のテキストと一抱えの冷凍ピザを受け取り、相馬さんはボランティアの立場にしては豪華な自宅に戻ってきました。
相馬さんはおやつ代わりにさっそくサラミピザを一切れ解凍し、それを口に運びながらキッチンのテーブルで「SACE Japanese Examinations – continuers(南オーストラリア州日本語試験・継続学習者用)」という問題集を開きました。

―ありゃま。
思わず、彼女である河田さんの口癖が出てしまいました。

オーストラリアの各州では、いずれも週独自の大学入試を実施しており、日本語を「外国語」のひとつとして受験することが可能です。日本の大学入試センター試験で、韓国語やドイツ語を「外国語」として選択できるのと同じです。問題は短い対話を聞いて、それに対する答を書くもので、レベルはほぼ日本語能力試験のN3レベルでした。

相馬さんが何より驚いたのは、問題集の模範解答に「よく出る」「注意」などの解説が付き、入試が露骨な競争であり、高得点こそスベテ! と言わんばかりの体裁になっていることでした。

相馬さんの短い経験では、オーストラリアの日本語教育というのは日本の英語教育とは異なり、入試対策がどう、というよりも日本語を身につけて幅広い国際感覚を身に付けるもの、という印象でした。しかしこの問題集を見る限り、楽しく授業を進めるよりは、どんどん頻出の内容を聞かせて、点を取らせることが大切なように思えてきました。生徒もトレーニングなしで過去の試験問題はできないだろう、と判断した相馬さんは、とりあえず日本語能力試験のN3の問題をやらせることにしました…。

半月後、入試で「日本語」を選択する20人の12年生を前に、相馬さんは聞き取りの模試を聞かせ、答を言っては解説をしました。学習者中心とか、コミュニケーション重視という理念は忘れ、点が取れるような授業に徹してみました。

最後に30分間の模試をやり、それを集めて自宅に戻った相馬さんは、フラフラでした。
しかし、この採点をすれば楽しい週末です。相馬さんはご褒美として例のピザを3枚温め、
模範解答を見ながら、赤ペンを走らせました。

―ありゃま!
予習の時の一言が、また口を付いて出てしまいました。ただ一人の満点は、授業ではいつも口が重く、おとなしい印象のティム君だったからです。

硬いサラミを噛みながら、相馬さんはティム君の印象を思い出そうとしました。
(小柄で、NARUTOのノートを持っていて、当てても答えられないことが多くて…)
相馬さんには、さほどの優等生とも思えないティム君がダントツの満点になった理由がどうしても思い当たりませんでした。

翌週、「特訓」のあと、教室を出て行こうとするティム君を、相馬さんは呼び止めました。

―はい。
ティム君は、きれいな発音でそう答え、緑色の目を相馬さんに向けました。

―テスト、よく出来るよね、ティム君。何か、特別なシークレットが、ありますか?
「シークレット」の発音が悪かったためか、ティム君はちょっと考えていましたが、やがてこんなことを話しました。

―このテストは、もし、男の人と女の人が話します、いつも、女の人が正しいです。もし、会社の、上人(うえひと)と下人(したひと)が話します、いつも、したひとが正しいです。だから簡単です。

ティム君はそれだけ言うと、ニコっと笑い、教室を出て行きました。
相馬さんはティム君の日本語を訂正するのも忘れて、彼のことばの意味を考えました。そしてすぐ自宅に帰ると、最後のピザを食べながら、日本語能力試験の過去の聞き取り問題を、片っ端から調べてみました。

―ありゃま!!
ティム君の言ったことは、ほぼそのとおりでした。これは見過ごせないな、そう思った相馬さんはノートパソコンを開け、河田さんに知らせるために、メールを打ち始めました。

【どうする、どうして?】
ティム君の指摘は、ある程度正しいです。理由はいくつかありますが、日本語能力試験やそれに類する試験では、男女が話し合う場面では女性の意見が、また上下の別にある2人が話し合う場合では下の人の意見が、それぞれ正しかったり、採用されたりする傾向があるようです。

このような試験に臨むにあたっては、合格するための勉強やトレーニングは大前提ですが、問題の内容とは直接関係のない、その試験特有の傾向や特徴を知っておくのも「アリ」かもしれません。もちろん、例外もたくさんありますから、これを受験テクニック的に教えることの是非は考えられなければなりません。しかし、興味深い観察であることは確かですね。

またオーストラリアの日本語教育は、確かに口頭の運用中心で、文法に過度に傾くことはありません。しかし、受験となると話は少し別なようです。わたしが住んでいたシドニーでは街中にHSC(大学入試)対策の塾がたくさんありましたし、新聞にもHSCのトップ成績5000人のうち、どの高校の生徒が何人占めるか、といった記事が載っていましたし、市民がそれを見ながら、

―シドニー女子高は最近、ノースシドニー女子にずっと負けてる。
などと話す様子は、東大合格者の一覧を載せた週刊誌が売れる日本の構図とそっくりです。受験熱や競争は、ある制度の下ではどの国でも必然であり、外国語教育であってもその枠から逃れるのは難しい、と感じさせるものでした。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉

-『みんなの日本語初級』を例に―(仮)1 パターンプラクティス前編

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特別連載 日本語教科書活用講座⑭ /マンガで学ぶ日本語の教え方初級 教科書を使いこなすための「教え方」の基礎!

8月上旬公開予定です。お楽しみに!

第9回 ビジネス日本語は究極のオーダーメイド-仕事で成功するための日本語とは?

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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編

日本語ボランティアの今井さんは、今日、教室にはいません。

現役を引退したはずの彼は今、なぜかスーツ姿で会社の会議室にいます。今井さんの前には別のスーツ姿の男性が座り、何やら熱心に話し込んでいます。
今井さんは、電機メーカーに復職したのでしょうか? そうではないにせよ、最近の今井さんは、どうも「ビジネス日本語づいている」ようです。

もう少し近づいて、様子を見てみましょう。

☆          ☆          ☆

―つまり、リッカルドさんには、もっと丁寧な日本語を話して頂きたいわけですね。
今井さんはそう確認し、慣れない手つきで手元のタブレットに「丁寧な日本語」と書き込みました。書き終えたのを見計らって、人事部長は答えます。

―そういうことです。社内的には良いんですが、顧客へのプレゼンの際など、あんまり失礼に響いてしまうと、ちょっと問題ありますんで。
部長はそう答えると、窓の向こうにそびえ立つ東京スカイツリーに目をやりました。

ここは下町に本社を持つ、中堅どころの貿易商社です。
先週、今井さんはボランティア教室の新しい学習者であるリッカルドさんから、職場で日本語が上手に使えない、助けてくれないだろうか、と泣きつかれました。

ボランティアの枠を超えた仕事のように思いましたが、今井さんは持ち前の義理堅さから、つい引き受けてしまい、今日は数年ぶりにスーツを着て来社し、リッカルドさんがどんな日本語を使っているのか、聞き取りに来たのです。

―リッカルドさんはいちおう、能力試験もN2を持っていますし、なかなか流暢に話せると思いますが…。
 と、今井さんは水を向けてみました。

―もちろん、普通に話す分には問題ありません。前向きな性格ですし、社内のムードメーカー的なところもある人です。問題はですね、今井先生、丁寧に話すべきところでぞんざいな口調になってしまって、なれなれしい印象を与えてしまうことなんです。

―それは、その、対外的な面でしょうか。

―それもありますし、何て言うんでしょう、昼休みはちょっと気を抜いても、午後の会議ではビシっとしなくちゃいけない時って、あるじゃないですか。コトバ一つで引き締まったり緩んだりする雰囲気って、先生、お分かりになりますか。
 今井さんは現役時代の目に戻って頷き、こう返しました。

―わたしも長く事務機メーカーにおったので、多少は分かります。わたしの所では外国人の社員はおりませんでしたが、結局、会社という場での上手な日本語っていうのは、仕事になる日本語、お金になる日本語、じゃないかと思います。
人事部長は、わが意を得たり、という表情になり、今井さんの手を取らんばかりに身を乗り出して、こう言いました。

―おっしゃるとおりです、今井先生。実は弊社では、来週、国内大手のピザチェーンさんにプレゼンを行い、リッカルドさんがイタリアで選んだソーセージを売り込む予定なんです。ぜひ、日本語の特訓を、お願いいたします!
 
☆          ☆          ☆

翌日の夕方、ボランティア教室で、今井さんとリッカルドさんは1対1で向き合っていました。ビジネスの練習ということで、今井さんは昨日と同じスーツ姿、リッカルドさんも会社から直行で来たので、彼もスーツ姿です。
今井さんは、人事部長から貰ってきたソーセージとハムのカタログを取り出しました。オレンジ色が基調のカタログは全部イタリア語で書いてあり、もちろん今井さんには読めません。

―ではリッカルドさん、練習です。このソーセージの良いところを、ちょっと説明してください。
リッカルドさんは承知した、という表情でメタルフレームのメガネをちょっと上げ、

―はぁい、このサルシッチャは、ぶっちゃけ……。

―あっそぉる、ためんてぇの!(Assolutamente no!=ダメダメ!)
今井さんはいきなり、怪しいイタリア語を繰り出しました。どうやら通じたらしく、リッカルドさんは可笑しさと驚きで、微妙な表情になりました。

―リッカルドさんね、
今井さんは日本語に戻し、微笑を絶やさずに続けます。

―「ぶっちゃけ」は、仕事の日本語では、ありません。

―そぅですか? でも皆、言います。わたし、会社の人から、ランチの時に習いました。
リッカルドさんは大きな手つきで反論します。今井さんは対抗するためか、慣れない手つきで人差し指を上げると、

―そうです。でもそれは、ごはんの時でしょう。その人は会議やプレゼンの時、「ぶっちゃけ」を言いますか?

―それは、あぁ、分からない。じゃあ先生、何て言いますか? その表現を教えますか?
今井さんは今のことばも直したいと思いましたが、人が出来ることは一度に一つ、と思い、

―この場合は、そうですね、「率直に申し上げて」です。あと、サルシッチャはイタリア語ですから「ソーセージ」がいいですね。
そっちょくにもうしあげて、とノートに書いていたリッカルドさんは、不満気に顔を上げました。

―いえ、サルシッチャはソーセージではありません。サルシッチャは生で、ソーセージは茹でたものです。
今井さんも負けてはいけません。

―そうですか。でもリッカルドさんは、ピザの会社にそれを売りたいでしょう? そうしたら、その会社の人が、分かるように、日本語を使いましょう。そうすれば、その会社は嬉しいでしょう。リッカルドさんも、リッカルドさんの会社も嬉しいでしょう。とぅっち・その・ふぇりぃち!(Tutti sono felici! = みんなハッピーです)
漢文を読み下すような怪しい響きですが、今井さんがイタリア語まで使って説得したことに驚いたのか、リッカルドさんは態度を改め、聞く姿勢を取りました。

―じゃあ続けましょうか。まず、自分の会社は「弊社」と言います。そして…

☆          ☆          ☆

翌週、今井さんは教室でリッカルドさんを待っていました。
ところが、10分経っても彼は来ません。ボランティア教室では、30分経っても来ない場合、その日のレッスンはキャンセルになります。
プレゼンは、うまく行ったのでしょうか。もしかしたら、うまく出来なかったリッカルドさんは、今井さんとのレッスンも、止めてしまったのでしょうか。

少し心配になった今井さんが連絡しようと携帯電話を手にした途端、ドアが開きました。
顔を上げた今井さんの前に、ソーセージの山が入ってきました。そう見えるほどの、山盛りのソーセージでした。
その山の後から、満面に笑みを浮かべたリッカルドさんが顔を出しました。驚く今井さんにソーセージを押し付けると、そのままリッカルドさんは、今井さんの背に手を回しました。

―ありがとう、先生、うまく行きました! ピザの会社は、わたしたちのサルシ…ソーセージを買ってくれました! 会社の人も、わたしの日本語を褒めてくれました! これは、会社からお礼です。本当にありがとうございました! Buonappetito!(たくさん食べて下さい)

【どうする、どうして?】
ビジネス日本語と聞いて、あまり経験がない教師が考えることは、社長・課長といった会社に関わる単語や、名刺の交換という場面です。しかし実際、仕事で使う日本語の領域というのは膨大です。人の数だけ、異なる日本語の種類があるといっても過言ではありません。それは外国人が仕事で日本語を使う場合も、同じです。

ビジネス日本語のプロの先生の場合、実際にレッスン前に学習者や、その人が勤める社内の関係者に聞き取り調査を行なうことは、決して珍しくありません。それによって教師は、その学習者に求められるものがどのようなものかを見極め、授業の個別化や内容の精緻化をはかるのです。

なぜなら、仕事の日本語とは単語を覚え、文が言えればそれで終わりではなく、それを使って仕事が成功して、初めて価値を持つからです。これは実は、いかなる日本語教育の場合も同じです。少し大げさですが、学習者が何かを日本語で言えること、相手の日本語が聞き取れることが、彼ら・彼女たちの幸福にいかに役立つか、という観点は、日本語教師であればいつも持ち続けていたいものです。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
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(講談社)などがある。

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もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
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第10回 組み合わせでイミが七変化―複数のイミをどう教える?

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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編

相馬さんは南オーストラリアの高校で、日本語のアシスタント教師をしています。今日はお昼をはさんで4連続の授業でしたが、ようやく終わったところです。

―相馬先生、さようなら!
生徒たちは口々にそう言って、教室を出て行きます。日本語のクラスを出るまではずっと日本語を使うようにと、上司に当たるパーカー先生は生徒たちに厳しく指導しています。生徒たちも心得たもので、教室から廊下に出るや否や、すぐに英語に切り替えておしゃべりを始めます。

相馬さんも生徒たちの背中を見ながら、教室を出ました。前を行く子どもたちの英語は早口で聞き取れませんが、英語の勉強のつもりで、相馬さんは時々、耳を傾けています。
ところが、前を歩くスマートフォンを手にした男子生徒からは、こんな声が聞こえてきました。

―喂,你在做什么?

―ええっ?!
相馬さんは声を上げてしまいました。英語がまだまだの彼ででも、これが中国語らしいことは分かります。それを聞いた男子生徒―ニコラス君―は、また何か話すと電話を切り、相馬さんの方を振り返りました。

―ニコラス君、今のは中国語ですか?

―はい、そうです。中国語は、わたしのお母さんの舌ですよ。
ニコラス君はそれだけ言うと、メタルフレームの眼鏡をちょっと手で引き上げ、会釈をすると、走って行ってしまいました。

(お母さんの、舌?)
相馬さんは訳が分からず、立ち止まってしまいました。遅れて教室を出た生徒たちは「さようなら!」と、相馬さんに投げかけ、抜き去っていきました。

☆          ☆          ☆

―お母さんの舌、ね。つまり、それはネイティブ・ランゲージのことだよ。
教員室で事情を聞いたパーカー先生は、カタカナ英語の発音を楽しむかのように、相馬さんにそう答えました。

―つまりニコラス君は、中国語の、ネイティブっすか?

―そう。ニコラスは中国系の移民で、確か、上海から来ましたね。
なるほど、と納得した相馬さんですが、聞くは一時の恥、と質問を続けました。

―パーカー先生、舌って、英語で、ランゲージ、すか?

―Well,
パーカー先生はどう言ったものか、と少し考えて、

―舌は tongue です。牛タンの「タン」でしょ? でも、「言葉」とか「発音」とかの意味もありますよ。だって、人間は、舌でしゃべるでしょ。ええっと…
パーカー先生は電子辞書を取り出して、キーを打ち、やがてディスプレイに映じたあることばを示しました。そこには「口舌の徒:言葉ばかりで実行が伴わない人」とありました。
日本人の自分も知らないような語句を探しだすパーカー先生の日本語力に驚嘆しながら、相馬さんは、この「意味の広がり」を、どうにか授業で使えないかな、と考え始めました。

☆          ☆          ☆

その3日後、相馬さんは、ニコラス君がいる10年生のクラスを教えていました。教えたと言っても、今日は学期の終わりですることもなく、京都の観光ビデオを見せただけで、時間が余ってしまいました。そこで、まだ生煮えのアイディアでしたが、相馬さんは新しい活動をすることにしました。

―みなさん、これは何ですか? 言ってください。
相馬さんはそう指示すると、クラスを見渡し、自分の口を指さしました。

―口!

―口、です。
生徒たちは、それこそ「口々に」言います。相馬さんはうなずくと、ホワイトボードに大きく「口」と書きました。そして同じように、目・耳・手・足を示し、その漢字を書きました。

―みなさん、見てください。
相馬さんはそう言うと、1枚の絵を生徒たちに示しました。絵の中には数人の女の子がおり、みんな楽しそうにおしゃべりしていましたが、一人だけが黙っています。

―見てください。みんな、話します。たくさん、話します。でも、この人を見てください。佐藤さんです。佐藤さんは、あまり話しません。
言いながら相馬さんは、絵をゆっくり右から左に動かし、クラスの全員に「佐藤さん」のありようをイメージさせました。

―皆さん、見てください。
相馬さんはホワイトボードに書いた5つの漢字―口・目・耳・手・足―を示しました。

―日本語のエクスプレッションです。佐藤さんは、あまり話しません。佐藤さんは、something が、重い、です。何が、重いですか? この5つから、選んでください。
生徒たちは、どうやら相馬さんの説明を理解したようで、いっせいに言いました。

―口が重いです!

―口です!
などと言いました。

―そうです! あまり話しません、は「口が重い」です。
生徒たちは、前に習った2つの単語「口」と「重い」の組み合わせが、意外な意味を生むことに驚いたのか、興味深そうにホワイトボードを見たり、隣同士で話したりしています。

―先生、僕は口が重いです!
ニコラスくんが、楽しそうにそう言いました。

―Boo!

―No!
生徒たちは口々に反対を唱え、普段からおしゃべりのニコラス君に文句を言いました。最前列に座っているメリッサさんは、

―いいえ、相馬先生、ニコラスは口が軽いです! 
と言い、周囲の生徒も口々に「そうです!」と賛同しました。

(あ、そっちも言えるな!)
相馬さんはそう考えながら、次の「高くて手が出ない」の絵を生徒に示すと、説明に入りました…。

【どうする? どうして?】
ある日本語の単語を、別の外国語で何と言うのか。
これを考えたことがない人は、おそらくいないでしょう。
初級の外国語学習というのは、この疑問の連続です。ですから英語圏の学習者だったら、新しい単語を習ったり、時には教師に訊いたりして、たとえば cooking は「料理」、moneyは「お金」などと単語を増やしていくわけです。

ところが、基本語の多くは、意味が一つではありません。相馬さんが授業で使った「口」であれば、「何かが出入りするところ(例=口が広い瓶)」や「始まり(例=宵の口)」のようにさまざまな意味があります。もちろん、「話すこと・ことば(例=口が重い、口が過ぎる)」も、その一つです。

問題は、多くの学習者も、また教師も、1つの単語には1つの意味だけが対応するかのような、「一語一義」に陥ってしまうことです。しかし「口」が示すように、基本的な単語ほど多くの意味があるものですし、その2番目、3番目の使い方は上級の語よりも使われる頻度が多く、学習者が出会う機会も多いものです。

時には、基本語の別の意味や、「口が重い」のような易しいことばの組み合わせが生み出す新しい意味を教えてみるのも大切です。ただでさえ、新しい単語を導入するのに大変なのに、そんなことは出来ない、という考えもあるかもしれません。しかし、そのすべてを学習者が覚えなくとも、基本語には実はたくさんの意味があること、簡単な語の組み合わせが時に新しい意味を持つことが理解されるだけでも、その授業には充分な意義があるのではないでしょうか。

ちなみに本文では「口が重い」と「口が軽い」を単純に正反対の意味として取り上げていますが、「口が軽い」はおしゃべりであることと同時に秘密を誰にでも話してしまう、信用できないという意味もありますので、本来ならその点にも触れるべきでしょう。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
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『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

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