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第6回 聞く練習も手を変え品を変え-ディクテーションも個別化で興味津々になる?

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荒川洋平の日本語教師ビギナーのためのワンポイントアドバイス『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』番外編

日本語のボランティア、今井さんは今、中級クラスの教室にいます。生徒さんはインドネシア人のイルマヤニさんと、フランス人のトマさん、どちらも男性です。

今井さんは今期、初めて中級クラスを任されました。自分を誘ってくれた先輩教師が入院してしまったので、役目が回ってきたのです。嫌といえない性格で引き受けたものの、どうも授業がうまく進みません。

最初は、国際交流センターの図書室にあった中級教科書を使ってみました。ところが初級のときのように文型を導入し、次に新しい単語を教えて、と進めると複雑な事項が多いため、進み方が遅くなることがわかりました。加えて生徒さんは二人ともビジネスマンなので、仕事にすぐ使える日本語を習いたいようです。

そこで今井さんは自分なりの中級授業を模索することにして、さっそく仕込みにかかりました。

☆     ☆     ☆     ☆

1週間後、中級の時間がやってきました。生徒さんは2人とも仕事のあとで、少し疲れた表情です。

-イルマヤニさん、トマさん、こんばんは。
内心の不安はおくびにも出さず、今井さんはにこやかにそう言いました。

-これから、日本語を聞きます。聞いたことを紙に書いてください。

-ディクタシオンですか?
黒革のブリーフケースからペンを取り出して、トマさんが聞きました。

-え?
今井さんには何のことだかわかりません。

-はい、トマさん、ディクテーションです。聞いて、書きます。
イルマヤニさんも短くなった鉛筆をジャンバーから取り出すと、そう言いました。

-はい、そうです。聞いてください。そして書いてください。
今井さんはイルマヤニさんの助け舟に感謝しました。これが何度目のフォローか分かりません。今井さんも答えられないような質問に、いつも学習者目線で答えるイルマヤニさんは今すぐにでも日本語教師になれそうですが、水産会社のマネージャーとして、忙しい毎日です。
今井さんは買ったばかりのタブレットを取り出し、音声ファイルを取り出して、再生ボタンを押しました。耳を澄ます二人に、音声が流れてきます。

―イルマヤニさん、トマさん、こんばんは。
二人は、おおっ、という表情で顔を見合わせます。聞こえてきたのは、ボランティア仲間である河田さんの声です。これを仕込んだのは、もちろん今井さんです。

―これから、短い話を聞きます。聞いたことを全部、紙に書いてください。…では、始めます。
二人はペンを持ち直しました。少しの沈黙のあと、また河田さんの声が流れます。

水産会社のスカルノ・フィッシャリーは今日、日本向けの冷凍エビの輸出を増やすために、
大きい倉庫を品川区鮫洲にレンタルすることにしました。ところが前の借主であるフランスの家具会社イジドールがなかなか倉庫を引き払わないため、不動産会社に相談しました。

今井さんは音声を止めました。二人は熱心に書き取っています。その表情を見ながら今井さんは、
(ここまでは、まあまあかな?)
と、思います、実はスカルノ・フィッシャリーはイルマヤニさんの、イジドールはトマさんの、それぞれ勤め先の名前です。そして、イルマヤニさんの会社が新しい倉庫を借りていることも、トマさんの会社が鮫洲にあることも事実です。明らかに自分に関係あることが女性の声で読まれていることもあり、二人とも聞いた文を書くことに必死です。

-先生、すみませんがもう一度、お願いします。
そう言われた今井さんは、

-その前に、二人でお互いにチェックしてください。
と、涼しい顔で言いました。二人は互いの答案を見せ合い、確認しています。やはり自分に関係ある社名や地名は分かりますが、相手方のはさっぱりのようです。

-トマさん、これは「れと」じゃなくて「れいとう」です。フローズンです。

-さめずは漢字でこう書きます、イルマヤニさん。
などと相手に教えあっています。協力してもどうにも分からない空白ができた時、今井さんはおもむろに2回目を聞かせました。
今度は、分からないところだけを聞き取るから早く進みます。
結局、3回聞いてから、今井さんは二人にホワイトボードに書いてもらいました。さらに4回目は一文ずつ聞き、空白や間違いは今井さんが得意の達筆で直しました。
二人が書き取ったところで、今井さんは質問をしました。

-トマさん、スカルノ・フィッシャリーは何の会社ですか?

-その会社は、どうして倉庫をレンタルしたいですか?

-何が問題ですか? そのために、何をしましたか?
二人が互いの助けを借りて何とかそれに答えると、今井さんは文の前半をイルマヤニさんに、後半をトマさんに、それぞれ解説してもらいました。二人の解説が終わると、最後に今井さんはまたタブレットを取り出し、河田さんの声を一言だけ聞かせました。

-イルマヤニさん、トマさん、おつかれさまでした。今日の授業は、終わりです。また練習しましょうね。さようなら。

-さようなら!
インドネシア人とフランス人は、打ち合わせたかのように声を合わせてそう言いました。そして満足気に教室を立ち、家路につきました。
(ヤレヤレ、手間はかかったけど、かけただけのことはあったかな?)
今井さんはそう思い、忘れないうちに河田さんにお礼と報告のメールを打つため、タブレットの画面にまた触れました。

【どうする? どうして?】
今井さんが編み出した方法を応用言語学の観点で分析すると「個別化したディクトグロス」ということになります。ディクトグロスとは、聞いて書く活動であるディクテーションを文法事項の復習や学習者の気づきという観点から読み替えた活動です。

今井さんの工夫は、二人の生徒さんに興味を持ってもらうために、それぞれの勤務先や会社の事情を入れ込んだ内容を作ることで、興味を抱かせたこと(これが「個別化」で、地域特産の教材を作る「地域化」より、さらに個別の学習者に根ざした内容になっています)、そして敢えて女声で録音して聞かせたことです。

学習者も男性、教師も男性という場合、教室で女性の声を聞く機会は教師が意識的に作らない限り、なかなかありません。言語学習とは音の学習なので、このような工夫も積極的にしてみると良いでしょう。

荒川洋平 (あらかわ・ようへい)
東京外国語大学准教授(留学生日本語教育センター)。
専門はメタファー研究を中心とした認知言語学。
著書に『もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『続・もしも・・・あなたが外国人に「日本語を教える」としたら』
『とりあえず日本語で もしも・・・あなたが外国人と「日本語で話す」としたら』(弊社刊)
『こぐまのお助けハンドブック-悩める日本語教師たちに贈る』(アルク)、
『日本語教師のための応用認知言語学』(共著・凡人社)、『日本語という外国語』
(講談社)などがある。

荒川洋平先生の電子書籍
もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
続・もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら〈デジタル版〉
もしも…あなたが外国人と「日本語で話す」としたら とりあえず日本語で〈デジタル版〉


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